日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニコライ」の意味・わかりやすい解説
ニコライ(Carsten Nicolai)
にこらい
Carsten Nicolai
(1965― )
ドイツのメディア・アーティスト。旧東ドイツ、カール・マルクス・シュタット(現ケムニッツ)に生まれる。庭師として働いた後、1985~1990年ドレスデンでランドスケープ・デザインを学ぶ。アートにも強い関心をもち、1991年にはベルリンで初個展を開催した。本格的な作家活動のスタートは1992年、アーティスト活動のためのグループ「文化とコミュニケーション」を友人と設立したときであり、次いで1994年に制作グループ「音と無音のためのアーカイブ」を設立、サウンド・アート、メディア・アートなど複数の領域にまたがる活動の基盤を築いた。
作品の傾向としては、有機的な形態をモチーフとした絵画やオブジェのような比較的オーソドックスなものから、コンピュータを活用することによって特殊な情報環境を演出するインスタレーションまで、きわめて多岐にわたる。また自らのレーベル「ラスター・ノトン」を主宰し、日本のサウンド・アーティスト池田亮司(1966― )との共作を含め、すでに10枚以上のCDをリリースしているサウンド・パフォーマーでもある。ドクメンタⅩ(1997、ドイツ、カッセル)、リバプール・ビエンナーレ(1999)、ベネチア・ビエンナーレ(2001)、イスタンブール・ビエンナーレ(2001)など多くの国際展にも参加した実績をもっているほか、1998年にはライプツィヒ現代美術館で個展が開催された。メディア・アートの国際展アルス・エレクトロニカ(オーストリア、リンツ)では、2000年にはデジタル・ミュージック部門、2001年にはインタラクティブ・アート部門で連続してグランプリを受賞するなど、若くして国際的なメディア・アーティストの評価を確固たるものとしているが、活動の拠点は今なおケムニッツに置いている。
多くの展覧会が開催されている日本でもなじみが深く、「第10回アートラボ企画展」(2000、代官山ヒルサイドプラザ、東京)では、スロベニア生まれのメディア・アーティスト、マルコ・ペリハンMarco Peljhan(1969― )と共作した作品『polar』を、ワタリウム美術館での個展(2002、東京)では試験管やターンテーブルを活用したサウンド・アート作品を出品するなど、情報環境や音環境を一種のランドスケープとして探求する先鋭的な作品を発表している。2002年には、ドイツ現代美術の最新動向を紹介した「QUOBO ベルリンのアート――壁崩壊から10年」展に、2007年には「SPACE FOR YOUR FUTURE」展(ともに東京都現代美術館)にも参加した。
[暮沢剛巳]
『Autopilot (2002, Consortium Book Sales & Dist, New York)』
ニコライ(宣教師)
にこらい
Николаи/Nikolai
(1836―1912)
ロシア正教会の宣教師。日本ハリストス正教会の創始者。尼格頼、尼活頼とも書く。本名イオアン・ディミトリビッチ・カサーツキンIoan Dimitriwich Kasatkin。ロシアのスモレンスク県生まれ(父は輔祭)。ペテルブルグ神学大学在学中にゴロウニンの『日本幽囚記』を読み日本への興味をもつ。修道士となりニコライと改名。1861年(文久1)箱館(はこだて)(函館)のロシア領事館付司祭として来日。禁制下の日本人(沢辺琢磨(さわべたくま)など)に宣教した。日本語、日本文化を学び、いったん帰国。伝道会社を設立して1871年(明治4)ふたたび来日。翌1872年東京に出て神学校設立、『正教新報』を創刊(1880)した。また東京復活大聖堂(ニコライ堂)の建立(1891)などによって伝道活動を行い、日本人による正教会の確立を目ざした。また1901年(明治34)には邦訳の『新約聖書』を出版した。「其(その)露国人であると云(い)ふ点に於(おい)て国民の疑(うたがい)と反感を招いたが、日本人に対しては全く同胞の如(ごと)く対等国民の如くに考へ」(大隈重信(おおくましげのぶ)談―『正教時報』1913年(大正2)4月号)、日露戦争(1903~1904)の際にも日本にとどまった。1906年に大主教。1912年2月16日東京駿河台(するがだい)の本会内の住まいで心臓病で死去。1970年(昭和45)列聖される。
[山川令子 2018年2月16日]
『ニコライ著、中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫)』▽『鈴木透他編『大主教ニコライ師説教演説集』(1911・教要社)』▽『日本ハリストス正教会総務局編・刊『大主教ニコライ師事蹟 他二篇』(1936)』
ニコライ(2世)
にこらい
Николай Ⅱ/Nikolay Ⅱ
(1868―1918)
ロシアのロマノフ王朝最後の皇帝(在位1894~1917)。アレクサンドル3世の長子として生まれる。保守主義者ポベドノースツェフに教育されて、その影響を受けた。1891年(明治24)皇太子として日本訪問中、警護の巡査に額を斬(き)られて負傷した(大津事件)。94年イギリスのビクトリア女王の孫でヘッセン・ダルムシュタットの公女(結婚後アレクサンドラ・フョードロブナと改名)と結婚。夫婦間は愛情に満ち、よき夫であったが、のちに皇后がラスプーチンを登用するや、彼に政治に口出しするのを許すことになった。父帝の外交政策を継承し、フランスとの同盟を強化し、シベリア鉄道を完成させ、極東への進出を図ったが、日露戦争を引き起こして敗北した。1905年の革命によって「十月宣言」を発布するはめとなったが、革命が終息するやストルイピンを引き立てて革命運動を弾圧した。外交政策においてドイツと対立しイギリスに近づいたことから、第一次世界大戦に巻き込まれ、戦争中の17年3月退位を余儀なくされた。ボリシェビキが政権をとったあと、18年4月にエカチェリンブルグ(ソ連時代はスベルドロフスク)に家族(皇后と4人の子供たち)とともに幽閉され、地方のボリシェビキによって射殺された。2000年8月ロシア正教会は、ニコライ2世とその家族を「受難者」として列聖した。
[外川継男]
『保田孝一著『ニコライ2世と改革の挫折』(1985・木鐸社)』
ニコライ(Carl Otto Ehrenfried Nicolai)
にこらい
Carl Otto Ehrenfried Nicolai
(1810―1849)
ドイツの作曲家、指揮者。喜歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』の作曲者として有名。ケーニヒスベルクの作曲家の息子として生まれたが、家出し、ベルリンでツェルターに師事した。1833年ローマのプロイセン大使館礼拝堂オルガン奏者に就任、初めパレストリーナを研究するが、ベッリーニとの出会いからオペラの世界に入る。一時ウィーンで活躍するが、ふたたびローマに帰り、オペラ作曲家として名声を博したのち、41年ウィーン宮廷歌劇場楽長となり、42年、後のフィルハーモニー演奏会の基礎を確立、交響曲第九番をはじめとするベートーベン作品の演奏に努めた。48年ベルリン大聖堂指揮者兼王立歌劇場楽長に就任、翌49年、代表作『ウィンザーの陽気な女房たち』の初演に成功したが、2か月後、卒中で帰らぬ人となった。
[樋口隆一]
ニコライ(1世)
にこらい
Николай Ⅰ/Nikolay Ⅰ
(1796―1855)
ロシアの皇帝(在位1825~55)。パーベル1世の三男として生まれる。長兄アレクサンドル1世の急死と、次兄コンスタンティン大公の皇位継承権放棄によって、1825年即位した。おりからデカブリストが首都ペテルブルグの元老院広場で反乱を起こしたが、軍隊を使ってこれを鎮圧し、主謀者を処刑した。まじめな性格で規律を愛し、生涯を通じて革命思想、自由思想を弾圧した。26年、悪名高い秘密警察「皇帝官房第三課」を創設し、プーシキン、レールモントフ、ベリンスキー、ゲルツェンら多くの文学者や思想家を流刑にした。30~31年のポーランドの反乱、48~49年のハンガリーの革命を厳しく抑圧し、「ヨーロッパの憲兵」として恐れられた。中央アジアに出兵して、領土を拡張したが、クリミア戦争を引き起こし、敗色濃いなかで死去した。
[外川継男]
ニコライ(Alwin Nicolais)
にこらい
Alwin Nicolais
(1912―1993)
アメリカの舞踊家、振付師。コネティカット州サウシントンに生まれる。無声映画のピアニストなどをしたのち、M・ウィグマンの公演を見て舞踊家に転向。1937年に自身の舞踊団を創設、48年ニューヨークのヘンリー・ストリート・プレイハウスを根城にアメリカ現代舞踊の一角を築いた。代表作に『万華鏡』(1956)、『トーテム』(1960)など。作風はM・グレアムなどの表現的な傾向とは違う抽象的なもので、肉体をデフォルメした形態の変化と光を強調したものである。映像作家E・エムシュウィラーの映画『テント』(1968)などには、被写体としてニコライの作品が使われている。
[市川 雅]
ニコライ(Friedrich Nicolai)
にこらい
Friedrich Nicolai
(1733―1811)
ベルリンの出版業者、著述家。レッシング、モーゼス・メンデルスゾーンらの執筆協力者を得て発刊した『最新文学に関する書簡』(1759~1765)および『ドイツ百科叢書(そうしょ)』(1765~1805)は、文学、思想界における啓蒙(けいもう)主義の牙城(がじょう)となる。また小説『学士ゼバルドゥス・ノートアンカー氏の生活と意見』(1773~1776)でルター正統派の偽善やピエティスムスの感傷癖を風刺した。
[小泉 進]