日本大百科全書(ニッポニカ) 「グノー」の意味・わかりやすい解説
グノー
ぐのー
Charles François Gounod
(1818―1893)
フランスの作曲家。パリ近郊サン・クルーに生まれ同地に没。ピアニストの母から音楽の手ほどきを受け、少年時代から楽才を発揮、1835年パリ音楽院に入学、レイハ、アレビー、ル・シュールに師事し、作曲などを学んだ。39年ローマ大賞を受賞し、翌年から3年間ローマに留学。この間にメンデルスゾーンの姉ファニー・ヘンゼルと出会い、バッハ、ベートーベンらのドイツ音楽を深く知るようになった。またシスティナ礼拝堂でパレストリーナの音楽を聴き、説教師ラコルデールと出会ったことから宗教に傾倒、一時は聖職者を目ざし、パリ帰着後も50年までは世俗を離れ、宗教音楽の作曲と演奏に専心し「師グノー」と自称した。51年、友人の歌手のためにオペラ『サッフォー』を作曲したのを機にオペラに進出したものの成功せず、一方、バイオリン、ピアノ、オルガンのための『バッハの前奏曲第一番による瞑想(めいそう)曲』(1853。この旋律はのちに歌曲『アベ・マリア』としても有名になる)、『聖チェチーリア荘厳ミサ曲』(1855)が成功、彼の名を一躍高めた。
その後モリエールの台本を用いたオペラ・コミック『いやいやながら医者にされ』(1858)、オペラ『ファウスト』(1859)が成功、とくに後者は1869年にバレエ付きのグランド・オペラに改作した版によりいっそうの成功をかちえ、彼の代表作と目されるようになった。なおこのオペラは、一部分ではあるが、外国人素人(しろうと)音楽家による日本最初のオペラ上演(明治27年=1894)の曲目であった。短期間ワーグナーの音楽に心酔。その後、ミストラルの原作による『ミレイユ』(1864)、シェークスピアによる『ロメオとジュリエット』(1867)を除いてはオペラでは成功を得られなかった。1866年アカデミー会員に選ばれるが、70年、プロイセン・フランス戦争を避けロンドンに移り活動、晩年はフランスに戻ってふたたび宗教音楽の作曲に向かい、オラトリオ『贖罪(しょくざい)』(1882)などで成功を収めた。
グノーは、従来主流であったグランド・オペラに対し、外面的効果よりも、魅力的な旋律、ドラマの進展にふさわしい音楽的、視覚的な効果を伴ったオペラ・リリックという領域を開拓、この、グランド・オペラとオペラ・コミックの中間に位置するジャンルの発展のために尽くした。また200曲ほどの歌曲では、サロン風の甘美ないし感傷的なロマンスを踏襲せず、詩の美しさやリズムを生かし、軽妙な表現、優美な旋律をもつものをつくった。そのため彼は、フランス近代歌曲の創始者に位置づけられている。これらの特質は彼の宗教音楽にも共通している。また彼は、ベルリオーズの才能を評価、年下のビゼーやサン・サーンスの楽才を世に知らせるために力を尽くした。
[美山良夫]