ユダヤの国際金融財閥。18世紀、フランクフルトで古銭商を始めたマイヤー・アムシェルMayer Amschel R.(1744―1812)を始祖として、ナポレオン戦争の混乱期にヨーロッパ最大の金融王国を築いた。一族は幾多の革命、戦乱、恐慌を乗り切って今日も地球規模で金融業務だけでなく、石油や金、ダイヤモンド、ワインなど多くの事業を展開している。
[横山三四郎]
英語でロスチャイルド、ドイツ語でロートシルト(「赤い楯(たて)」の意)とよばれる一族はユダヤ人の家系である。その営業は1760年代にさかのぼり、古銭商としてドイツ地方の王侯貴族に知己を得たマイヤー・アムシェルが、両替から手形割引、対外借款などへと事業を広げたことに始まる。三男のネイサン・マイヤーNathan Mayer R.(1777―1836)をイギリスに送ったのを皮切りに、5人の息子をフランクフルト、ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリに配し、当時としては画期的な国境を越えた五極体制で金融活動を展開した。
[横山三四郎]
19世紀初頭、一族はナポレオンに追われた封建領主の資産を預かってロンドン市場で運用、またナポレオンが大陸封鎖令(1806)でイギリスとの交易を禁じたさいには暴騰した商品を扱って大儲けした。1815年6月のワーテルローの戦いでは、ナポレオンがウェリントン将軍と戦って敗れたとの情報を独自ルートでいち早くつかんで市場で巨利を得たとされる。勝利して復活した神聖同盟の旧勢力が新興のロスチャイルド家を無視しようとすると、金融市場を混乱させてその力のほどをみせつけ、ハプスブルク家の宰相メッテルニヒからオーストリアの神聖ローマ帝国の財政を委ねられた。こうして各国の国債発行、引き受けをほぼ独占して、19世紀のヨーロッパの最大・最強の金融財閥として政治をも動かした。
産業革命が工業化の段階に至り、ヨーロッパ諸国が植民地経営に乗り出すと、一族はその資金を提供、鉄道から石油(ロイヤル・ダッチ・シェル)、ダイヤモンド(デビアスDe Beers Consolidated Mines)などさまざまな分野に融資して資産をさらに増やした。イギリスがエジプトからスエズ運河の株44%を買ったときはロスチャイルド家が全額融資した。絶大な力は20世紀初頭まで続き、日露戦争ではイギリスのロシアとの敵対関係を背景に、ロンドンのN・M・ロスチャイルド銀行が日本の戦時国債の発行に協力した。
[横山三四郎]
第二次世界大戦後に一族はパリとロンドンの分家だけになったが、パリの方は戦時中に接収された資産を取り戻すとともに、当主ギー・ド・ロスチャイルドGuy de Rothschild(1909―2007)が自由フランスのためによく戦ったことからドゴール政権に好感をもたれて、後に首相から大統領になるジョルジュ・ポンピドーをロスチャイルド兄弟銀行の頭取に迎えて急速に復興した。大統領ミッテランの左翼政権が1981年に誕生すると、基幹産業の国有化を行い、ロスチャイルド兄弟銀行と鉱山会社も国有化されたが、この国有化政策は失敗に終わって見直され、パリ分家は生き延びた。
金融街シティーにあるN・M・ロスチャイルド銀行を中心とするロンドン分家はイギリスが植民地を失って衰退するとともにかつての勢いを失い、さらにアメリカ、次いで日本の大規模な商業銀行に追撃されて相対的に小規模になって弱体化した。しかし新たに投資信託銀行やベンチャー投資会社、生命保険会社を次々と設立、投資分野もワイン(ボルドーのラフィットCh. Lafite Rothschild、ムートンCh. Mouton Rothschild)からレジャー(地中海クラブClub Med)まで多岐にわたって一族の活動意欲は衰えていない。
[横山三四郎]
冷戦後のヨーロッパでは1993年から単一市場が発足、2002年からはユーロ通貨が流通した。このためあらゆる分野の産業で競争が激化して合従連衡(がっしょうれんこう)が行われるようになっているが、パリ、ロンドンのロスチャイルド銀行は企業のM&A(合併・買収)取りまとめ実績で上位にあり、つねに国境を越えて活動してきたロスチャイルド家のブランドとノウハウがふたたび評価されている。
ロスチャイルド家の姿はこれまで「語るなかれ」という秘密保持と、直系の男子しか経営に参加させない初代マイヤー以来の家訓のためになかなかみえなかった。しかし一族のなかには自叙伝を出す者も現われ、革命や戦争、大不況、金融危機など無数の社会変動をしのいで、不死鳥さながら存続してきた国際金融財閥の実像が明らかになりつつある。
国境を越える国際金融資本であるロスチャイルド家は民族主義とは相いれず、シオンの丘への帰還運動(シオニズム)には距離を置いた。しかし入植者に対しては寛大な支援を惜しむことなく、また建国(1948年)されたイスラエルでも慈善活動を行っている。
[横山三四郎]
『中川敬一郎著『ロスチャイルド』(松田智雄編『巨富への道――西欧編』所収・1955・中央公論社)』▽『中木康夫著『ロスチャイルド兄弟』(岡倉古志郎編『20世紀を動かした人々』第9所収・1962・講談社)』▽『ブービエ著、井上隆一郎訳『ロスチャイルド――ヨーロッパ金融界の謎の王国』(1969・河出書房新社)』▽『H・H・ベンサッソン編、石田友雄・日本語版総編集『ユダヤ民族史』1~6(1978・六興出版)』▽『田中友義著『ロスチャイルド』(原輝史編『フランス経営史』所収・1980・有斐閣)』▽『中木康夫著『ロスチャイルド家――世界を動かした金融王国』(1980・誠文堂新光社)』▽『ジャン・ボミエ著、黒木寿時訳『地球の支配者 銀行――ロスチャイルドからモルガンまで』(1984・東洋経済新報社)』▽『ギー・ド・ロスチャイルド著、酒井伝六訳『ロスチャイルド自伝』(1990・新潮社)』▽『フレデリック・モートン著、高原富保訳『ロスチャイルド王国』(1991・新潮社)』▽『玉置紀夫著『日本金融史――安政の開国から高度成長前夜まで』(1994・有菱閣)』▽『エドマンド・デ・ロスチャイルド著、古川修訳『ロスチャイルド自伝――実り豊かな人生』(1999・中央公論新社)』▽『デリク・ウィルソン著、本橋たまき訳『ロスチャイルド――富と権力の物語』上下(新潮文庫)』▽『横山三四郎著『ロスチャイルド家――ユダヤ国際財閥の興亡』(講談社現代新書)』
19世紀から20世紀にかけてヨーロッパ金融界に君臨した国際的な財閥。ユダヤ教徒の家柄で,シオニズム運動の発展にも寄与した。フランクフルト・マム・マインで〈赤い盾Rotschild〉を家号とする両替商マイヤー・アムシェルMeyer Amschel Rothschild(1744-1812)はヘッセン伯ウィルヘルム9世の寵を得て,その〈宮廷銀行家〉として急速に富を築いた。自国の農民を傭兵として売りさばくことで有名だったヘッセン伯のおこぼれにあずかったのである。とはいえ,ここではアムシェルはまだ,17,18世紀とくにドイツ諸国に多く見られた〈宮廷ユダヤ人〉の一人,それもそのうちの新参者でしかなかった。しかし,絶対君主のために徴収業務を引き受け,あるいは戦費を貸し付け,さらには軍需品の調達を行うなどして重宝がられた〈宮廷ユダヤ人〉の多くが,産業革命とフランス革命の時代に没落していったのに反し,アムシェルはまさにこの大きな変動の時代にめざましい上昇を果たした。1806年ヘッセン国の瓦解にあたって,彼はヘッセン伯の巨富を無事ロンドンに移すことに成功し,みずからもまたこれにより莫大な利益を得た。
すでにロンドンに渡っていた彼の三男ネーサンNathan Meyer R.(1777-1836)は同地にロスチャイルド銀行を開き,イギリスの対ナポレオン戦争の戦費をまかなうという大事業をやってのけた。またパリに移住した五男ジェームズJames(Jakob)Meyer R.(1792-1868)はネーサンと協力してフランスにおける王政復古を財政面で支える役割を果たした。フランクフルトにとどまった長男アムシェルAmschel Meyer R.(1773-1855),ウィーンに定住した次男ザロモンSalomon Meyer R.(1774-1855),さらにやがてナポリに居を構えた四男カールKarl Meyer R.(1788-1855)と合わせてアムシェルの5人の息子たちは,それぞれの住む国家の支配体制に密着しながら,しかも家族としての固いきずなを維持し,独自の情報網を国境を越えてはりめぐらし(ネーサンはワーテルローの勝利の知らせをロンドンで最初に入手した人物であった),迅速,確実な取引決済によって,ヨーロッパをおおう国際的な一大金融業者となった。
メッテルニヒ体制を金融面で支えたロスチャイルド家は,1848年革命により痛手をこうむり,またとくにフランスではナポレオン3世の冷淡な態度とクレディ・モビリエ(動産銀行)など新型の株式会社銀行の登場により守勢に立たされた。1860年ナポリのロスチャイルド家は閉鎖され,フランクフルト,ウィーンでも家運は衰退に向かった。しかしパリでは67年クレディ・モビリエの瓦解後,ロスチャイルド家は再び指導的な地位を回復し,ロンドンでもクリミア戦争での公債引受け,スエズ運河購入にあたっての金融などで依然として力を発揮した。普仏戦争後の講和交渉でフランスの償金支払を保証し,また早期支払を可能にしたのもロスチャイルド家の金融力であった。
19世紀の半ば以降ヨーロッパ各地での鉄道建設および海運業にも資本参加して,そこでも重要な役割を果たしてきたロスチャイルド家は,帝国主義の時代の開幕とともに,ロンドンとパリを中心に南アフリカ鉱山業やロシアのバクー油田への資本投下など,国際的な金融資本としての活動をも強めるようになる。しかしその本領は依然として国家財政への関与にあり,日露戦争でも日本はロンドンの,またロシアはパリのロスチャイルド家にそれぞれ財政援助を要請している。
それだけに第1次大戦に向けて列強間の対立が激化するにつれ,それぞれの政府に忠誠を誓うロスチャイルド家の結束にひびが入ることになる。そして1902年にフランクフルトのロスチャイルド家が活動を停止したのちは,ロンドンとパリが重きをなすようになった。とくにロンドンでは今日でもなお金融界に大きな力を振るっている。
ロスチャイルド家はまたユダヤ教徒の重鎮と目されており,1917年のバルフォア宣言はロンドンの当主ライオネル・ウォルターLionel Walter R.(1868-1937)にあてられている。〈ユダヤ人による世界支配の陰謀〉という反ユダヤ主義者の宣伝のなかで,ロスチャイルド家はそのような悪の権化とみなされ,1936年のナチス・ドイツによるオーストリア占領とともに,ウィーンのロスチャイルド家は没落を余儀なくされた。
執筆者:下村 由一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…彼らの事業活動はロンドン金融市場を拠点として国際的な広がりを示した。たとえば,最も著名なマーチャント・バンカーであるロスチャイルド商会(ロスチャイルド家)は,ロンドン,パリ,フランクフルト,ウィーンおよびナポリに店舗をかまえ,ヨーロッパのみならずラテン・アメリカ諸国の公債発行をも請け負った。マーチャント・バンカーのなかにはユダヤ人が多く,彼らは中世の非定住的な高利貸に似た特徴をもっていた。…
※「ロスチャイルド家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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