桜井忠剛(読み)サクライ タダタカ

20世紀日本人名事典 「桜井忠剛」の解説

桜井 忠剛
サクライ タダタカ

明治期の洋画家 尼崎市長



生年
慶応3年4月17日(1867年)

没年
昭和19(1944)年10月15日

別名
号=天華

経歴
尼崎藩主桜井家の正統だが、父忠顕の隠居により大叔父忠栄がこれを継いだため分家となる。早くから東京に出て勝安房邸に寄寓し川村清雄に学ぶ。明治20年東京府工芸品共進会で妙技2等賞、23年内国勧業博で褒状を受ける。27年頃松原三五郎らと関西美術会(第1次)を結成。31〜33年新古美術品展で3等賞銅牌、34年同展で2等賞銀牌を受ける。33年京都美術協会に入り、34年京都で関西美術会(第3次)創立に参画し同会委員となる。同年同会第1回批評会で3等賞を受けるが、38年尼崎町長となり、大正5年尼崎初代市長に就任してからは次第に画壇から退いた。のち昭和3年、7年と3度市長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「桜井忠剛」の解説

桜井 忠剛
サクライ タダタケ


肩書
尼崎市長

生年月日
慶応3年(1867年)

経歴
尼崎藩主桜井家の正統だが、父忠顕の隠居により大叔父忠栄がこれを継いだため分家となる。早くから東京に出て勝安房邸に寄寓し川村清雄に学ぶ。明治20年東京府工芸品共進会で妙技2等賞、23年内国勧業博で褒状を受ける。27年頃松原三五郎らと関西美術会(第1次)を結成。31〜33年新古美術品展で3等賞銅牌、34年同展で2等賞銀牌を受ける。33年京都美術協会に入り、34年京都で関西美術会(第3次)創立に参画し同会委員となる。同年同会第1回批評会で3等賞を受けるが、38年尼崎町長となり、大正5年尼崎初代市長に就任してからは次第に画壇から退いた。のち昭和3年、7年と3度市長を務めた。

没年月日
昭和19年10月15日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桜井忠剛」の解説

桜井忠剛 さくらい-ただたか

1867-1934 明治-昭和時代前期の洋画家。
慶応3年4月17日生まれ。東京で川村清雄にまなび,新古美術品展などに入賞。明治34年関西美術会(第3次)の創立にくわわり,同会委員となった。郷里兵庫県尼崎の市長をつとめた。昭和9年10月15日死去。68歳。号は天華。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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