日本歴史地名大系 「桜竹村」の解説 桜竹村さくらだけむら 大分県:日田郡天瀬町桜竹村[現在地名]天瀬町桜竹湯山(ゆやま)村の南、玖珠(くす)川左岸に位置する。「豊後国志」に五馬(いつま)庄桜滝(さくらだき)とみえ、元禄見稲簿では桜ヶ竹村として枝郷の柳津留(やなつる)村・福島(ふくしま)村をあげ、天保郷帳では古くは桜竹村・柳津留村・古園(ふるぞの)村・福島村四ヵ村であったと記す。慶長一八年(一六一三)六月の日田郡内知行目録(鍋島勝茂譜考補)に村名がみえ、当村四二六石余など一千石余が佐賀藩主鍋島氏室の高源院領とされている。正保郷帳に村名がみえ、田高二六石余・畑高四四石余で、石井(いしい)郷に属し、柴山有、日損所と注記される。寛文四年(一六六四)の小川代官支配高帳(長野家文書)では高二三九石余で、免二ツ八分九厘、永荒六二石余。享保八年(一七二三)の日田郡毛付高帳(千原家文書)では毛付高一九〇石余、新田畑二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by