日本歴史地名大系 「石井郷」の解説
石井郷
いしいごう
石井郷
いしいごう
「和名抄」諸本には記載されない。平城宮跡出土木簡に「名方郡石井郷川□里」として現れる郷。「石井郷川□里」となっているが、郷里制が行われていたのは霊亀元年(七一五)から天平一一―一二年(七三九―七四〇)頃までであり、石井郷は少なくとも七一〇―七三〇年代には存在していたことになる。
石井郷
いしいごう
石井郷
いしいごう
石井郷
いわいごう
「和名抄」所載の郷で、高山寺本は以波為、東急本では伊波井の訓を付す。「大日本地名辞書」は現
石井郷
いしいごう
「和名抄」高山寺本に記載なく、刊本にも訓を欠く。天平二〇年(七四八)四月二五日造寺所公文(正倉院文書)に「茨田連兄万呂、年廿三、労三年、山背国紀伊郡堅井郷戸主布勢君家万呂戸口」とあり、従って石井は「いわい」とよまれたかとも思われる。また治承四年(一一八〇)の藤原氏女田地売券(東寺百合文書)に、
とある。
石井郷
いわいごう
石井郷
いわいごう
石井郷
いしいごう
石井郷
いわいごう
石井郷
いわいごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報