石井郷(読み)いしいごう

日本歴史地名大系 「石井郷」の解説

石井郷
いしいごう

「豊後国風土記」や「和名抄」にみえる郷。「豊後国風土記」では郡家の南方に位置したとする。地名の由来は「豊後国風土記」に「昔、この村に土蜘蛛の堡あり。石を用いず、土をもって築く。これに因って名を無石の堡という。のちの人、石井の郷と謂は誤れるなり」としている。また同風土記には「郷の中に河あり、名を阿蘇川という。その源は肥後国阿蘇郡少国(おぐに)の峯より出で、流れてこの郷に到る。すなわち球珠川に通じ、会いて一つの川と為り、名づけて日田川という。


石井郷
いしいごう

「和名抄」諸本には記載されない。平城宮跡出土木簡に「名方郡石井郷川□里」として現れる郷。「石井郷川□里」となっているが、郷里制が行われていたのは霊亀元年(七一五)から天平一一―一二年(七三九―七四〇)頃までであり、石井郷は少なくとも七一〇―七三〇年代には存在していたことになる。飯尾(いのお)川から南の四国山地の山麓沿いの旧名西郡石井村(現石井町)付近に比定される。旧石井村と隣接する旧浦庄(うらしよう)村(現同上)には法起寺式伽藍配置をもつ石井廃寺や国分尼寺跡があり、また下浦(しもうら)(現同上)には同じ時代の下浦廃寺が存在するなど、奈良時代から平安時代にかけての地方寺院群が集中し、白鳥(しろとり)(現同上)には貞観三年(八六一)三月六日に従五位下を、元慶七年(八八三)一二月二日には従五位上の神階を授けられている白馬(白鳥)神(三代実録)にあたるとみられる白鳥神社が所在している。


石井郷
いしいごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「石井」と記し、訓を欠く。東は吉井(よしい)郷、西は神戸(かんべ)郷、南は浮穴(うけな)郡井門(いど)郷、北は天山(あまやま)郷に接する。天平勝宝二年(七五〇)四月七日付の写書所解(正倉院文書)の記載によれば「田部直五百依 年廿八伊与国久米郡石井郷戸主田部直足国戸口」とあり、石井郷に田部足国が一戸を構成していたことがわかる。

中世に入り、河野通信は承久の乱に後鳥羽上皇側に応じたため、多くの所領を没収された。


石井郷
いしいごう

「和名抄」所載の郷。同書東急本に「以之井」と訓じる。郷域について「日本地理志料」は石井は石堰の意で清泉を出す地を意味するとし、越木岩(こしきいわ)村に甑(こしき)巌があり、隣の越水(こしみず)は小清水と解されることから、越水・越木岩・西宮・芝(しば)・高木(たかぎ)・上大市(かみおおいち)・下大市・門戸(もんど)・段上(だんじよう)の諸邑の現西宮市南東部を郷域と比定する。これに対し「大日本地名辞書」は良元(りようげん)村(明治二二年成立)としている。


石井郷
いわいごう

「和名抄」所載の郷で、高山寺本は以波為、東急本では伊波井の訓を付す。「大日本地名辞書」は現富山(とみやま)町岩井(いわい)から鋸南(きよなん)町岩井袋(いわいぶくろ)にかけて、「日本地理志料」はさらに北側の鋸南町勝山(かつやま)・竜島(りゆうしま)の海岸地域にかけての一帯にそれぞれ比定している。中世には安房国岩井不入計(いりやまず)など、近世には北(きた)郡岩井袋村などとみえる。岩井川下流域の富山町久枝(くし)の低地に五世紀中頃の恩田原(おんだばら)古墳群、高崎(たかさき)川の南の丘陵斜面に冷水(ひやみず)・大谷(おおやつ)・岩婦(いわぶ)・鬼(おに)ヶ谷(やつ)横穴群など五群一三基の横穴群、鋸南町岩井袋から竜島にかけての海岸辺りに大黒山(だいこくやま)・岩井袋・板井(いたい)ヶ谷(やつ)・大乗院(だいじよういん)横穴群など九群六三基の横穴群があり、岩井川から高崎川流域の低地には古墳時代から奈良・平安時代の集落遺跡が数多く所在している。


石井郷
いしいごう

「和名抄」高山寺本に記載なく、刊本にも訓を欠く。天平二〇年(七四八)四月二五日造寺所公文(正倉院文書)に「茨田連兄万呂、年廿三、労三年、山背国紀伊郡堅井郷戸主布勢君家万呂戸口」とあり、従って石井は「いわい」とよまれたかとも思われる。また治承四年(一一八〇)の藤原氏女田地売券(東寺百合文書)に、

<資料は省略されています>

とある。


石井郷
いわいごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。同書高山寺本では巨濃郡に記されるが、東急本では法美(ほうみ)郡に含まれる。しかし中世以降の法美郡内で郷域を比定するのは難しい。現国府(こくふ)町中央部の袋(ふくろ)川と上地(わじ)川の合流点付近に比定する説(大日本地名辞書・鳥取県史)、袋川支流の大石(おおいし)川最上流の石井谷(いわいだに)村(現国府町)付近とする説(因幡志)などがあるが、いずれも無理があり、中世岩井庄の中心部となった現岩美(いわみ)町の蒲生(がもう)川下流域一帯に比定するのが妥当であろう。


石井郷
いわいごう

「和名抄」諸本ともに訓を欠くが、摂津国武庫(むこ)郡の同名郷に「以之井」(東急本)、安房国平群(へぐり)郡の同名郷に「以波為」(高山寺本)・「伊波井」(東急本)の訓がある。位置は明確でない。「和名抄」の郷名の配列では最後に置かれているので、讃良郡の北端にあったかと思われる。


石井郷
いしいごう

「和名抄」高山寺本・流布本ともに「石井」と記し、高山寺本のみ「以久井」と訓ずるが、久は之の誤りであろう。「日本地理志料」は「周布郡石井郷、領大郷、楠窪、明河、千足山ノ四邑」とする。


石井郷
いわいごう

「和名抄」高山寺本は「以波為」、東急本は「伊波井」と訓を付す。上野国分寺跡(現群馬郡群馬町)出土の文字瓦に「石井」「石」がみえる。現安中市岩井(いわい)を遺名とみる。「日本地理志料」は郷域を現安中市東部の板鼻(いたはな)・中宿(なかじゆく)・野殿(のどの)・大谷(おおや)と現高崎市西端の鼻高(はなだか)町にわたる地とする。


石井郷
いわいごう

「和名抄」所載の郷で、同書高山寺本など諸本とも訓を欠く。イシヰかイハヰであろうが、江戸時代の岩井(いわい)村(現海上町)を遺称地として、これを含む一帯に比定する説がある。


石井郷
いわいごう

「和名抄」にみえるが訓を欠く。「下総旧事考」は「今岩井村アリ。是ナルベシ」として岩井(いわい)村(現岩井市)に比定。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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