梅室村
うめむろむら
安位川(兄川)上流域、山口村の南に立地。文禄四年(一五九五)九月吉日の大和国忍海郡脇田ノ村御検地帳(県立奈良図書館蔵)に「ムメムロ」の集落名が現れる。
江戸時代初期は脇田村のうち。のち脇田村は寛永郷帳においては脇田村・上ノ村(小林共)・山口村・平岡村に分離するが、梅室村は上ノ村に含まれている。上ノ村は寛永一〇年(一六三三)以降、旗本佐久間実勝領、同一六年郡山藩郭住本多勝行(四万石)領。承応二年(一六五三)以降、同じく郡山藩郭住本多政長(三万石)・本多政信(一万石)領の相給村となる(寛文朱印留)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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