北城郡(読み)きたかつらぎぐん

日本歴史地名大系 「北城郡」の解説

城郡
きたかつらぎぐん

面積:九五・八七平方キロ
王寺おうじ町・香芝かしば町・上牧かんまき町・當麻たいま町・新庄しんじよう町・河合かわい町・広陵こうりよう

奈良盆地中央西部に位置する。古代の広瀬郡・葛下郡(大和高田市を除く)忍海おしみ郡の一部。東は大和高田市・橿原かしはら市・磯城しき郡、西は金剛山地を隔てて大阪府。南は御所ごせ市、北は大和川を隔てて生駒郡。郡中央部に馬見うまみ丘陵が南北に走り、丘陵の西を葛下かつげ川、東を高田たかだ川・葛城川・曾我川が北流して大和川に注ぐ。

葛城の地名は「古事記」「日本書紀」に現れ、古くはカズラキと訓じた(→葛上郡葛下郡。当郡域には片岡かたおか葦田あしだの古代地名があり、金剛山地の二上山は「万葉集」に詠まれ、秀麗な双峰は広く知られている。河内との国境をなす金剛山地には北から順に、王寺町の送迎ひるめ峠、香芝町の関屋せきや峠・田尻たじり峠・穴虫あなむし峠、當麻町の岩屋いわや峠・竹内たけのうち峠・平石ひらいし峠・岩橋いわはし峠などの峠があり、これらを越えて大和・河内を結ぶ交通路が早くから開けていた。なかでも竹内峠を通る竹内街道は古代のよこ大路であり、橿原市・桜井市に至り、初瀬はせ街道・伊勢街道に連絡する重要道路であった。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は、二上山の北方、どんづる峯と田尻峠周辺で一〇ヵ所近く確認され、香芝町でも翼状剥片や尖頭器が採集されている。縄文後期・晩期に入ると二上・葛城山麓にも遺跡が点在する。山麓の扇状地形に立地する遺跡としては當麻町の竹内遺跡、低地への移動遺跡として當麻町と香芝町にまたがる磯壁いそかべ遺跡や香芝町大字狐井きついの台地の東斜面に立地する狐井遺跡があり、その東方の微高地に位置する下田しもだからも早期の土器が発見されている。弥生時代の遺跡は先の縄文時代の遺跡と複合しているが、各々の実態については不明な点が多い。當麻町の竹内・尺土しやくど、香芝町の鎌田かまだなどから石器・土器が出土し、上牧町では銅鐸が発見されている。

この地域では新庄町の金鋳山かなゆやま古墳のほかは前期古墳の発掘例は少ない。中期古墳は馬見古墳群の中核をなす広陵町の巣山すやま古墳・新木山にきやま古墳・新山しんやま古墳、河合町の佐味田宝塚さみたたからづか古墳・大塚山おおつかやま古墳などの大型の前方後円墳や前方後方墳があり、また同じく馬見古墳群の中央部には、典型的な帆立貝式古墳として著名な河合町の乙女山おとめやま古墳をはじめとして、同町の佐味田狐塚さみたきつねづか古墳、広陵町の池上いけがみ古墳など、大型の帆立貝式古墳が集中している(→馬見古墳群。南部の中期古墳は、新庄町屋敷山やしきやま古墳・神塚こうづか古墳が大型前方後円墳で、當麻町には塚畑つかはた古墳やナベづか古墳・芝塚しばづか古墳などが点在。新庄町の埴口はにくち墓や香芝町の狐井城山きついしろやま古墳などは埴輪類や墳形から中期後半に比定される古墳であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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