朝日日本歴史人物事典 「梶原景高の妻」の解説
梶原景高の妻
平安後期・鎌倉初期の女性,北条政子の女房。小野刑部丞成綱の娘。正治2(1200)年,夫景高(景定とも)が梶原氏の乱に加わったとの咎で誅されたため縁座を恐れて隠居していたが,同年6月,尾張国野間・内海荘(愛知県知多郡)ほかを安堵された。それは政子の寵愛にのみよるのではなく,「その仁たるによって」働きが評価されたためでもあった。
(田端泰子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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