椎津郷(読み)しいづごう

日本歴史地名大系 「椎津郷」の解説

椎津郷
しいづごう

上総国馬野まの郡内の郷村で、現椎津に比定される。建武二年(一三三五)一〇月二三日の三浦高継寄進状(鶴岡八幡宮文書)真野まの郡椎津郷とみえ、鎌倉鶴岡八幡宮に郷内の田一町を寄進している。この三浦氏は宝治合戦で三浦泰村以下一族が滅亡したのち、三浦党佐原氏の盛時が跡を継いだ三浦氏で、高継は足利尊氏方の武将として活躍した。同年九月二七日の足利尊氏充行下文(宇都宮文書)で、三浦高継が父時明の相模大介職以下の所職所領を復されたなかに椎津郷の記載がないことから、当郷は中先代の乱で北条時行方についた時明の本領を尊氏が高継に新たに宛行った所領と推察される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android