椙原村
すぎはらむら
中世にみえる村名。現箱崎本村触の杉ノ原を遺称地とする。文永一一年(一二七四)頃、椙原村は瀬戸浦とともに筑前筥崎八幡宮(現福岡市東区)領となり、弘安の役の功としてその預所職が少弐景資に与えられていたとされる(壱岐国史)。弘安八年(一二八五)の岩門合戦で景資は自害、翌九年「壱岐瀬戸浦」の預所職は薩摩太郎左衛門尉盛房に宛行われたが(同年閏一二月二八日「蒙古合戦并岩門合戦勲功地配分注文」比志島文書)、椙原村は未詳。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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