椛崎村(読み)かばさきむら

日本歴史地名大系 「椛崎村」の解説

椛崎村
かばさきむら

[現在地名]足利市樺崎町かばさきちよう

四方を山丘に囲まれ、当村北方の山王さんのう嶽より発する長途路ながとろ川が村内を迂回しながら南流する。南西大月おおつき村、東南端の越床こしどこ(腰床)峠を経て安蘇あそ赤見あかみ(現佐野市)に至る。樺崎とも記す。「鶴岡社務記録」によると、観応二年(一三五一)一〇月一日に関東公方足利基氏は「下野椛崎八幡宮」に北西方の丸木まるき郷を寄進している。文和三年(一三五四)一二月一二日の足利尊氏御判御教書(鑁阿寺文書)には「樺崎寺」とみえる。当村東部のしろ(独立丘陵)にあった樺崎城は、文明三年(一四七一)四月の古河公方軍と幕府軍の合戦において幕府軍に攻められ落城、南宗茂・持茂父子らが討取られている(「足利義政御内書写」御内書符案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報