楠川
くすがわ
戸隠表山に源を発し、上楠川で小楠川を合わせて荒倉山の裾を南下し下楠川を経て折橋・市場を過ぎ裾花川に合する。
慶長以前は栃原村と上野村との境界であり、戸隠神領の境となっていたが、慶長一七年(一六一二)松代領主松平忠輝は徳川家康の命により領内知行地をさいて、神領を定めた際に、栃原村の奈良尾・宇和原が戸隠神領となり、戸隠神領が荒倉山東部を包含することとなった(「栃原村之内戸隠領」久山家旧蔵・「慶長十七年御朱印配当奥組日記之写」中院衆共有)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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