奈良尾(読み)ならお

日本歴史地名大系 「奈良尾」の解説

奈良尾
ならお

[現在地名]上田市大字富士山字奈良尾

東松本ひがしまつもと村内の南部、富士ふじ岳山麓一帯の集落。東奈良尾と西奈良尾に分れる。

「長野県町村誌」には元和二年(一六一六)東松本村から分れたとあり、寛永二年(一六二五)の上田領年貢割付状(山寺家文書)に「東松本内奈良尾村庄屋」とみえる。慶安三年(一六五〇)塩田組村々反別寄帳(福沢深見氏蔵)に奈良尾として「高六拾六町六畝三歩」とある。宝永三年(一七〇六)の松平氏の東松本差出帳(上田藩村明細帳)には奈良尾村・町屋村が並記され、庄屋等の村役人も両村にみえるので実質的には独立していたとみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「奈良尾」の意味・わかりやすい解説

奈良尾
ならお

長崎県南松浦(みなみまつうら)郡にあった旧町名(奈良尾町(ちょう))。現在は新上五島町(しんかみごとうちょう)の南東部を占める。旧奈良尾町は1943年(昭和18)町制施行、2004年(平成16)若松(わかまつ)、上五島、新魚目(しんうおのめ)、有川(ありかわ)の4町と合併、新上五島町となる。旧奈良尾町域は、五島列島中通島(なかどおりじま)の南東部に位置し、国道384号が通じる。奈良尾港へは、長崎港と福江(ふくえ)港(福江島)からジェットフォイルフェリーが就航する。西日本随一の大型巻網漁業の基地で、奈良尾船団を構成しているのは8企業13統(1996)で、約800人の漁船員が雇用されている。このうち約73%が奈良尾以外の居住者で占められる。原因は、奈良尾の人口が都市志向の傾向を示すため、地元企業への就業希望が少なく、過疎化の傾向にあるためである。奈良尾船団の労働力は上五島一円のカトリック集落の子弟によって支えられているといわれ、浜串(はまくし)の岬にはマリア像がそびえ立ち、船団の出漁を見守っている。巻網漁業のほかにブリの定置網漁業(漁協経営)が行われている。背後遠見番(とおみばん)岳は江戸時代に外国船見張番の置かれた所。奈良尾神社の樹齢600年のアコウは国指定天然記念物。佐尾鼻(さおばな)付近にオニヘゴの自生地がある。1924年(大正13)に献堂された赤レンガ造の福見教会(ふくみきょうかい)などがある。

[石井泰義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奈良尾」の意味・わかりやすい解説

奈良尾
ならお

長崎県西部,新上五島町南東部の旧町域。五島列島の中通島の南部にある。 1943年町制。 2004年上五島町,新魚目町,若松町,有川町の4町と合体して新上五島町となった。漁業が主で,1955年頃まではイワシ漁で栄え,いりこ加工が盛んであった。以降大型巻網漁業の基地となり,長崎市,平戸市とともに,長崎県下の三大基地をなしている。北部の岩瀬浦はかつてのイワシ景気の中心地。遠見番岳 (308m) は正保4 (1647) 年に外国船見張りの遠見番所が設置されたところ。奈良尾神社には国指定天然記念物のアコウの大樹がある。中心集落の奈良尾には長崎-福江間のフェリーが寄港する。

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改訂新版 世界大百科事典 「奈良尾」の意味・わかりやすい解説

奈良尾 (ならお)

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