槻沢村
つきぬきざわむら
[現在地名]西那須野町槻沢
北は上井口村、東は関根村、西は当村から湧水する津室川を境に高柳村と接し、一段高い位置を占める。この段丘上には縄文中・後期の槻沢遺跡がある。南には当村唯一の小丘権現山(二八二メートル)があり、石林村に続く。当村一帯は槻の木(当地方では青欅と称する)が多く、どの家裏にも一、二本植えられている。字街道下・腰巻・街道上に湧水地が三ヵ所あって水量も比較的豊富だが、当村での利用は少ない。天正一八年(一五九〇)大田原晴清が豊臣秀吉から安堵された所領のなかに「月の木沢」一〇二石七斗余がみえ(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)、以後大田原藩領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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