槻沢村(読み)つきぬきざわむら

日本歴史地名大系 「槻沢村」の解説

槻沢村
つきぬきざわむら

[現在地名]西那須野町槻沢

北は上井口かみいぐち村、東は関根せきね村、西は当村から湧水する津室つむろ川を境に高柳たかやなぎ村と接し、一段高い位置を占める。この段丘上には縄文中・後期の槻沢遺跡がある。南には当村唯一の小丘権現ごんげん(二八二メートル)があり、石林いしばやし村に続く。当村一帯は槻の木(当地方では青欅と称する)が多く、どの家裏にも一、二本植えられている。字街道下かいどうした腰巻こしまき街道上かいどううえに湧水地が三ヵ所あって水量も比較的豊富だが、当村での利用は少ない。天正一八年(一五九〇)大田原晴清が豊臣秀吉から安堵された所領のなかに「月の木沢」一〇二石七斗余がみえ(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)、以後大田原藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む