温泉神社(読み)おんせんじんじや

日本歴史地名大系 「温泉神社」の解説

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]小浜町雲仙

満明まんみよう寺の北に鎮座。古くは四面しめん宮または筑紫国魂つくしくにたま神社と称し、島原半島などに祀られる四面宮(温泉神社)の本宮として信仰を集めた。旧県社。祭神は白日別命・豊日別命・速日別命・豊久士比泥別命・建日別命。大宝元年(七〇一)別当の温泉山満明寺の創建とともに行基により四面大菩薩(阿如来・宝生如来阿弥陀如来釈迦如来の権現)が勧請されたと伝える(歴代鎮西要略・温泉山略縁起)。満明寺とともに雲仙うんぜん(温泉山)の山岳信仰の拠点で、四面に宿った神霊をもって筑紫島すなわち九州鎮護の神として祀ったという。この四面は祭神のうち白日別命・豊日別命・速日別命・豊久士比泥別命の四柱で(「温泉山四面大明神勘文」島原半島史)、「古事記」のいう九州の四神であり、社号ともなった。諸所の四面宮は建日別命を合せて五柱とする場合もあるが、これらの神名は「先代旧事本紀」の陰陽本紀の「筑紫島謂身一而有面四。毎而有名。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]加津佐町水下津名 道元下巳

みやわきに鎮座。古くは四面しめん宮・温泉神社三ノ宮とも称した。旧郷社。祭神は白日別命・豊日別命・速日別命・豊久士比泥別命・建日別命。雲仙うんぜん岳の温泉神社(現小浜町)が参拝に険阻な地にあるため遥拝所として雲仙山麓に分祀した一七ヵ所の一つとされる。はじめ六反田ろくたんだ名の上登竜かみとうりゆう(「神とう留」とも)に建立され、のち天辺の元四面宮てつぺんのもとしめんぐうに移り、正徳元年(一七一一)には水月すいげつ名の玉の浦たまのうらに移建。同所は天草あまくさ灘を一望でき、白砂青松の景勝地であったが、人家が増えたので明治三一年(一八九八)現在地に移された。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]那須町湯本

湯本ゆもと温泉街の北奥、那須岳中腹、標高約九〇〇メートルにある。祭神は大己貴命・少彦名命誉田別命を配祀。旧郷社。「延喜式」神名帳にみえる那須郡温泉ユノ神社」に比定される。「下野国誌」もユノの訓を付し、温泉そのものを祀ったものと考えられるが、中世には「ゆぜん大明神」(「平家物語」巻一一那須与一)と称され現在もユゼン神社と通称される。「那須記」などによれば舒明天皇の代、鹿を追って山へ入った猟師狩野三郎が、温泉の霊神という白衣の老翁の導きで温泉(鹿の湯)を発見、宮社を建立し「温泉ノ神霊」を祀ったのが始まりと伝えるが、天平一〇年(七三八)の駿河国正税帳(正倉院文書)によると小野牛養が療養のため「那須湯」に向かっており、この頃には当社も創建されていたと考えられる。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]有家町山川

有家川の西に鎮座。古くは四面しめん宮とも、温泉神社二ノ宮とも称した。境内に諏訪神社を祀る。旧郷社。祭神は白日別命・豊日別命・速日別命・豊久士比泥別命・建日別命。貞観三年(八六一)九月に雲仙うんぜん岳の温泉神社(現小浜町)の分霊を祀ったのが始まりと伝える。本宮の温泉神社が険阻な地にあって参拝が困難であるために遥拝所として雲仙山麓に分祀した一七ヵ所の一つであるが、なかでも本宮と密接な末社として山田やまだ(現吾妻町)・有家、千々石ちぢわ(現千々石町)諫早いさはやの四ヵ所があり、その一つという。温泉神社二ノ宮という通称から、諸社とはまた別の由緒を想定しうる。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]国見町多比良 高下

みやしたに鎮座。古くは四面しめん宮と称した。旧村社。祭神は白日別命・豊日別命・速日別命・豊久士比泥別命・建日別命。雲仙うんぜん岳の温泉神社(小浜町)と同じ頃、大宝年間(七〇一―七〇四)の創建と伝え、本宮が険阻な地にあるため遥拝所として雲仙山麓に分祀した一七ヵ所の一つとされる。弘安の役に際して四面の顔をもつ武将を派遣して勝利を導いたとする所伝が広まって以来、九州一円の武家の参拝が行われるようになったという。延文四年(一三五九)足利義詮は天下の安全を祈願して高来たかく加津佐かづさ(現加津佐町)の田地一三町を「四面社」に寄進している(同年四月二〇日「足利義詮寄進状」松尾貞明氏所蔵文書)

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]鳴子町 湯元

江合えあい(荒雄)川右岸、鳴子湯元ゆもと(滝ノ湯)温泉街の後方、胡桃くるみヶ岳の西北麓にある。旧村社。祭神は大己貴命・少彦名命。「続日本後紀」承和四年(八三七)四月一六日条によれば、当地で火山の爆発が起こり温泉があふれ川へ流れ出したので、国司に命じてこれを鎮めさせた。当社はこのあふれ出した温泉(滝ノ湯)を鎮めるために祀られたものと考えられる。同書承和一〇年九月五日条に「玉造温泉神」とみえ、無位から従五位下の神階を授けられている。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]島原市亀の甲町

亀の甲かめのこうに鎮座。古くは四面しめん宮と称した。旧村社。祭神は白日別命・豊日別命・速日別命・豊久士比泥別命・建日別命および伊弉諾命・伊弉冉命。雲仙うんぜん岳の温泉おんせん神社(現小浜町)の遥拝所として雲仙山麓に分祀した一七ヵ所の一つであるという。三会みえ村と杉谷すぎたに村の氏神として信仰され、はじめ両村境の四面原に鎮座していたが、近くの墓地を不浄として現在地に移っている。元禄一〇年(一六九七)社殿を造営した当時、吉田英行が神主になり、以来吉田家が神主を世襲。

温泉神社
ゆのじんじや

[現在地名]いわき市常磐湯本町 三函

湯本温泉街の入口にあり、祭神は大己貴命・少彦名命、旧県社。おんせんじんじゃ・ゆせんさまともよばれ、俗に温泉大明神・三函さばこ(三箱・佐波古)社とも称する。神主は今も佐波古を姓とする。「延喜式」神名帳の磐城郡七座のうちの一つ。西方にある独立峰ノ岳を神体とする。社伝によると上古湯ノ岳山頂に鎮座し、暦応三年(一三四〇)観音かんのん山中腹へ、慶安四年(一六五一)磐城平藩主内藤忠興が再建、延宝六年(一六七八)内藤義概が現在地に移したという。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]有明町大三東

向川原むかいこうらに鎮座。古くは四面しめん宮と称した。旧村社。祭神は白日別命・豊日別命・速日別命・豊久士比泥別命・建日別命および菅原道真。雲仙うんぜん岳の温泉神社(現小浜町)の遥拝所として雲仙山麓に分祀した一七ヵ所の一つとされ、祭神のうち菅原道真以外は雲仙岳の温泉神社と同様である。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]花巻市台 湯の沢

だい温泉に向かう道沿いに鎮座する。祭神は大己貴命・少彦名命、旧村社。当地の開拓者が湯壺から沸上る湯気のなかに幣帛が現れたのをみて薬師如来を祀り、この湯を薬師の湯と称したのに始まるという(湯本村誌)。「御領分社堂」に薬師として二尺四面板葺、松山しようざん寺持、由緒など不明とあり、俗別当徳右衛門と記される。また同人が出雲大社から分霊を勧請して祀ったのが当社の始まりとする伝承もある。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]那須町伊王野 霞ヶ岡

伊王野いおうの集落の上手にある。祭神は大己貴命・少彦名命・誉田別命、ほか五神を配祀。「ゆぜんさま」の通称で親しまれる。旧郷社。社伝によれば和銅二年(七〇九)の草創で、大同二年(八〇七)に現在地に移転、仁治二年(一二四一)伊王野資長が社殿を造営したという。

温泉神社
おんせんじんじや

[現在地名]愛野町乙 小無田

四面平しめんびらに鎮座。古くは四面宮と称した。旧村社。祭神は白日別命・豊日別命・速日別命・豊久士比泥別命・建日別命。雲仙うんぜん岳の温泉神社(現小浜町)の遥拝所として雲仙山麓に分祀した一七ヵ所の一つとされる。戦国期は有馬氏の崇敬が厚く、有馬主税のとき愛津あいつに砦を築いた際その守護神にしたというが、近世には有馬氏の衰退により当社も荒廃していった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「温泉神社」の意味・わかりやすい解説

温泉神社【おんせんじんじゃ】

温泉(ゆの)神社,湯泉(ゆせん)さまとも。福島県いわき市常磐湯本町に鎮座する旧県社。常磐温泉の守護神大己貴(おおなむち)命,少彦名(すくなびこな)命をまつる。延喜式内社に比定される。5月7・8日の例祭は,サツキヤマブキ,フジなどの花をかざして神輿(みこし)の渡御を迎える〈さつき祭〉。

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