樋口助弘(読み)ヒグチ スケヒロ

20世紀日本人名事典 「樋口助弘」の解説

樋口 助弘
ヒグチ スケヒロ

昭和期の放射線医学者 放射線医学総合研究所初代所長。



生年
明治29(1896)年4月7日

没年
昭和33(1958)年8月9日

出生地
新潟県湯沢町

学歴〔年〕
九州帝大医学部〔大正11年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和2年〕

経歴
九大第1内科学教室、法医学教室を経て、昭和3〜4年ドイツ、オーストリア留学。5年九大金子内科を辞め、慈恵医大内科助教授に転じ物理療法科主任、7年教授。14年第17回日本レントゲン学会会長、23年第7回日本医学放射線学会会長、27年工業標準調査会診療用エックス線専門委員会会長、診療エックス線技師国家試験委員長、32年放射線医学総合研究所初代所長。著書に「臨床家に必要なレントゲン手技」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「樋口助弘」の解説

樋口助弘 ひぐち-すけひろ

1896-1958 昭和時代の放射線医学者。
明治29年4月7日生まれ。欧州留学をへて,昭和7年東京慈恵医大物療科(のち放射線科)初代教授。日本医学放射線学会会長などをつとめ,32年科学技術庁放射線医学総合研究所初代所長。昭和33年8月9日死去。62歳。新潟県出身。九州帝大卒。著作に「臨床家に必要なるレントゲン手技」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android