朝日日本歴史人物事典 「歌川芳虎」の解説
歌川芳虎
江戸末期・明治中期の浮世絵師。俗称永島辰五郎,あるいは辰之助,辰三郎。一猛斎,孟斎,錦朝楼などと号した。歌川国芳の門人で,天保(1830~44)ごろから作画を開始。安政5(1858)年ごろ師と不和になり破門され,嘉永2(1849)年の錦絵「道外武者御代の若餅」では徳川家康を風刺したかどで処罰される。錦絵,版本挿絵と幅広く活躍し,明治初年には人気絵師のトップクラスに上る。国芳風の武者絵や,3代豊国を継承した錦昇堂版の役者大首絵が優れている。最も活躍したのは維新前後の目新しい風俗を描いた横浜絵,開化絵の分野で,作品点数も多いが,質的には濫作の弊をまぬがれていない。
(大久保純一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報