歌川国芳(読み)ウタガワクニヨシ

デジタル大辞泉 「歌川国芳」の意味・読み・例文・類語

うたがわ‐くによし〔うたがは‐〕【歌川国芳】

[1798~1861]江戸後期の浮世絵師。江戸の人。通称、孫三郎。号、一勇斎など。初世歌川豊国に学び、特に勇壮な武者絵で名声を得た。洋風の風景画風刺画にもすぐれた。

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精選版 日本国語大辞典 「歌川国芳」の意味・読み・例文・類語

うたがわ‐くによし【歌川国芳】

  1. 江戸後期の浮世絵師。通称孫三郎。号は一勇斎、朝桜楼。初世豊国の門弟。師豊国と同門の国直、勝川春英と合わせて三家の画風を折衷し、さらに、洋画的手法を合わせて、一家を成した。「水滸伝」の豪傑を描いた錦絵はその代表作。寛政九~文久元年(一七九七‐一八六一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「歌川国芳」の意味・わかりやすい解説

歌川国芳
うたがわくによし
(1797―1861)

江戸後期の浮世絵師。初世歌川豊国(とよくに)の門人で、幕末の浮世絵界に幅広い作域で活躍した。江戸・神田の染物業柳屋吉右衛門(きちえもん)の子として生まれ、俗称を井草孫三郎(いぐさまござぶろう)という。1811年(文化8)15歳で豊国門下となり、1814年ごろ画壇にデビューした。しかし幾年かは振るわず、1827年(文政10)ごろから版行され始めた『通俗水滸伝豪傑一百八人之一個(つうぞくすいこでんごうけついっぴゃくはちにんのいっこ)』のシリーズにより一躍人気を博して、武者絵の国芳とよばれ、この分野に地歩を固めた。別号には一勇斎(いちゆうさい)、朝桜楼(ちょうおうろう)ほかがあり、風景画、美人画、役者絵、花鳥画、武者絵、風刺画、戯画、版本の挿絵、肉筆画など作域は広範であった。その性格も豪放淡泊であり、逸話が多く残されているが、天保(てんぽう)年間(1830~1844)ごろより多くの風刺画を描き、この方面における第一人者としても活躍した。また風景画にも『東都名所』ほかのシリーズが知られており、洋風表現を駆使したその画風にはみるべきものがある。文久(ぶんきゅう)元年3月5日没。

[永田生慈]

『鈴木重三編『浮世絵大系10 国貞/国芳/英泉』(1976・集英社)』


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朝日日本歴史人物事典 「歌川国芳」の解説

歌川国芳

没年:文久1.3.5(1861.4.14)
生年:寛政9.11.15(1798.1.1)
江戸末期の浮世絵師。江戸日本橋生まれ。はじめの姓は不明だが,のちに井草氏を継ぐ。幼名芳三郎,のちに孫三郎。一勇斎,朝桜楼などと号した。文化8(1811)年ごろに初代歌川豊国に入門したが,不遇の時期が長く続いた。文政(1818~30)末ごろ文芸界の『水滸伝』ブームに乗じて発表した「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」の錦絵シリーズが当たりを取り,「武者絵の国芳」としてようやく人気絵師の仲間入りを果たした。以後,錦絵,読本・合巻・滑稽本の挿絵と幅広く活躍し,国貞,広重と共に歌川派の三巨匠のひとりに数えられた。武者絵の代表作は3枚続きの画面に対象を巨大に描いたものに多く,「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」「相馬の古内裏」などがあげられる。武者絵以外では,天保(1830~44)前期に「東都名所」「東都○○之図」などの風景版画シリーズで近代的な感覚を見せ,同後期の「金魚づくし」,弘化(1844~48)末ごろの「荷宝蔵壁のむだ書」などの遊び心に満ちた戯画も注目される。門人の育成にも尽力し,門下から芳虎,芳幾,芳年らの俊才が輩出した。画業においては銅版画の作風を学ぶなど旺盛な吸収力を見せ,観る者を驚かせ喜ばせるサービス精神にも富んでいる。人間的には侠気のある親分肌で,ときに幕政を風刺する反骨精神もあったが,一方では猫をこよなく愛するなど,人間的な魅力に富んだ人物であった。<参考文献>鈴木重三『国芳』

(大久保純一)

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改訂新版 世界大百科事典 「歌川国芳」の意味・わかりやすい解説

歌川国芳 (うたがわくによし)
生没年:1797-1861(寛政9-文久1)

江戸末期の浮世絵師。江戸の人。井草氏。幼名芳三郎のち孫三郎。陰名は一妙開程芳。号は一勇斎,朝桜楼。初世歌川豊国の門人で1814年(文化11)ごろ画壇に登場。初め同門の歌川国貞に押され気味であったが,文政末年に《通俗水滸伝豪傑百八人之一箇》の錦絵シリーズが好評を博し,一躍〈武者絵の国芳〉の名声を得るに至った。他に美人画や,葛飾北斎の作風も採り入れた役者絵も多数制作したが,むしろ量的には少ない。清新な洋風陰影法を駆使した風景画に,彼の力量と高い芸術性を示す優品が多い。一方,天保の改革などに取材する風刺画,諧謔味あふれる戯画,その他魚類を中心とする動植物画なども手がけている。また,横浜開港に際し《横浜本町之図》を描き,〈横浜絵〉の先鞭をつけた。豊かなアイディアと斬新な構図法により奇想を発揮した異色作家として評価が高まっている。門人に歌川芳虎,落合芳幾,月岡芳年がいる。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「歌川国芳」の意味・わかりやすい解説

歌川国芳【うたがわくによし】

江戸末期の歌川派の浮世絵師。江戸神田の生れ。本名井草孫三郎。一勇斎,朝桜楼と号した。初世歌川豊国の門人。《通俗水滸伝豪傑百八人》(1827年)以来画名を高くし,〈武者絵の国芳〉と評判をとった。また洋風表現を取り入れた風景版画において光や風を感じさせる清新な画面を構成,《東都名所》の2シリーズがある。風刺画,戯画にも奇才を発揮。
→関連項目浮世絵河鍋暁斎五姓田芳柳月岡芳年

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「歌川国芳」の意味・わかりやすい解説

歌川国芳
うたがわくによし

[生]寛政9(1797).11.15. 江戸
[没]文久1(1861).3.5. 江戸
江戸時代後期の浮世絵師。1世歌川豊国の門人。俗称は井草孫三郎。号は一勇斎,朝桜楼,採芳舎。武者絵で有名。洋風画の明暗法や遠近法を応用した風景画にすぐれる。主要作品『東都名所』 (1834頃) ,『源頼光公館土蜘作妖怪図』 (43) ,『大物之浦,平家之怨霊』 (50頃) ,浅草寺本堂額『浅茅原一つ家之図』 (55) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「歌川国芳」の解説

歌川国芳 うたがわ-くによし

1798*-1861 江戸時代後期の浮世絵師。
寛政9年11月15日生まれ。初代歌川豊国の門人。錦絵のシリーズ「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」で,武者絵の国芳として有名になる。洋風画法をとりいれた風景画にもすぐれ,「東都名所」「東海道五十三駅」などの作品がある。月岡芳年らおおくの弟子をそだてた。文久元年3月5日死去。65歳。江戸出身。姓は井草。通称は孫三郎。別号に一勇斎,朝桜楼など。

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367日誕生日大事典 「歌川国芳」の解説

歌川国芳 (うたがわくによし)

生年月日:1797年11月15日
江戸時代末期の浮世絵師
1861年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の歌川国芳の言及

【浮世絵】より

…北斎と広重は花鳥画にも妍(けん)を競ったが,風景画と同様の作風の差がある。勇壮な武者絵や諷刺と滑稽のユーモアを盛る戯画は,歌川国芳の独壇場であった。彼は西洋画法にも明るく,風景画にも異彩を放っている。…

【歌川派】より

…そして,この勢いは豊国の下から国貞,国芳が出ることによっていっそう高まった。歌川国貞は役者絵,美人画において,豊国の様式を完成させて時代の寵児となり,歌川国芳も〈武者絵の国芳〉の異名をとるように,武者絵をはじめとして,風景画や風刺画などに機智と奇想を交えた作品を生み出し,人気を得た。歌川派には豊春―豊国―国貞・国芳という系列とは別に,豊春―豊広―広重という流れがある。…

【芝居絵】より

…また,師宣には《北楼及演劇図画巻》(東京国立博物館)という肉筆画巻もあり,遊里とともに二大悪所と目された芝居町の風俗を多様な角度からとらえているが,木版画の一枚絵を主たる表現手段とした以後の浮世絵師は,個々の役者の姿絵に芝居絵の範囲をほぼ限定していくようになる。 そうした中で,西洋画の遠近法を採り入れた〈浮絵〉の手法により劇場の内部を統一的に描いた奥村政信(1686‐1764)や,三都の芝居町の楽屋内の模様をそれぞれ大判三枚続きの大画面に精細に報告した歌川国貞(1786‐1864),あるいは土壁への釘による落書になぞらえて滑稽な役者似顔の戯画を生んだ歌川国芳(1797‐1861)らの,異色の画業が特筆されるであろう。さらには,幕末の土佐に出て,奔放な筆致と原色的な色彩を用い,地方土着の激情を台提灯絵(だいちようちんえ)の芝居絵に発散させた絵金(1812‐76)の活躍も注目に価するものがある。…

※「歌川国芳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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