武弓城跡(読み)たきゆうじようあと

日本歴史地名大系 「武弓城跡」の解説

武弓城跡
たきゆうじようあと

[現在地名]水府村下高倉

武生たきゆう山の南の標高約四〇〇メートルの地に三〇〇―四〇〇平方メートルほどの平坦部があり、ふもと城、りゆう城ともよぶ。鎌倉時代に国井経義(高倉孫五郎)がこの地方を領有し、館を築き居住したという(水府村史)。しかしこれは武弓城ではなく高倉たかくら(天下野館とも)との説もある。延元元年(一三三六)佐竹義篤は武弓城に拠って楠木正家と戦った。「新編常陸国誌」の高倉故城の項に「陸奥岩城飯野八幡社文書ノ内、伊賀式部三郎盛光軍忠事云々、建武三年七月廿二日、馳参常陸国武生城、マタ同年十二月二日、打立常陸国武生城(中略)土人又云フ、石井弾正此城ニ居ル、食邑十五貫文ト、弾正蓋シ佐竹氏ノ臣、佐竹氏命ジテ此城ヲ守ラシムルナリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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