朝日日本歴史人物事典 「武田信元」の解説
武田信元
室町時代前期の武将。甲斐国(山梨県)守護。信春の子。信濃守,陸奥守。応永24(1417)年,上杉禅秀の乱に連座して兄信満が自害すると,高野山に逃れ剃髪して空山と号した。鎌倉府の推す逸見氏の守護補任を好まない幕府により,同年守護に任じられ,甥で信濃国守護の小笠原政康(母は信満・信元の姉)の後押しを受けて,翌25年甲斐入国を果たす。しかし逸見氏の力はなお強く,守護代に任じた跡部氏の発言力も次第に強まり,その統治は安定しなかった。同28年以前には死去したものとみられ,跡は甥信重の子伊豆千代丸が継いだ。なお信元の名は多くの系図にみえず,現在では信満の弟穴山満春と同一人物とする説が有力である。
(堀内亨)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報