水町庸子(読み)ミズマチ ヨウコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「水町庸子」の解説

水町 庸子
ミズマチ ヨウコ


職業
女優

本名
三国 むめ子

別名
前名=水町 玲子

生年月日
明治45年 3月24日

出生地
福井県 坂井郡

学歴
三重県立高女中退

経歴
昭和8年「ムーラン・ルージュ」に入り、水町玲子の芸名で、地味な役どころの社会風刺劇に活躍した。のち水町庸子と改名し、13年映画界入りする。「冬の宿」「鶯」「閣下」などで好演。16年、中川信夫監督「暁の進発」の撮影中、盲腸炎をこじらせ旅先の京都の宿で死亡した。

没年月日
昭和16年 1月11日 (1941年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「水町庸子」の解説

水町 庸子
ミズマチ ヨウコ

昭和期の女優



生年
明治45(1912)年3月24日

没年
昭和16(1941)年1月11日

出生地
福井県坂井郡

本名
三国 むめ子

別名
前名=水町 玲子

学歴〔年〕
三重県立高等女学校中退

経歴
昭和8年「ムーラン・ルージュ」に入り、水町玲子の芸名で、地味な役どころの社会風刺劇に活躍した。のち水町庸子と改名し、13年映画界入りする。「冬の宿」「鶯」「閣下」などで好演。16年、中川信夫監督「暁の進発」の撮影中、盲腸炎をこじらせ旅先の京都の宿で死亡した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水町庸子」の解説

水町庸子 みずまち-ようこ

1912-1941 昭和時代前期の女優。
明治45年3月24日生まれ。東京新宿のムーランルージュにはいり,のち同座の三国周三と結婚。昭和13年東京発声の「冬の宿」で映画デビュー。「頬白先生」「光と影」「閣下」などで堅実な,味わいぶかい演技をみせた。撮影中の昭和16年1月11日急死。30歳。福井県出身。本名は三国むめ子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android