永良村(読み)ながらむら

日本歴史地名大系 「永良村」の解説

永良村
ながらむら

[現在地名]西尾市上永良かみながら町・下永良しもながら

市の北東に位置し、広田こうた川に沿う。沖積地に開けた集落で、永良郷とよばれた。長良村とも記す。村名の由来については、口碑に、むかし太平おおひら川が南流し、「ながれ」とよんでいたのが「ながら」になったという(三和村誌)

大永(一五二一―二八)の頃、中島なかじま(現岡崎市)城主由良氏の所領。弘治二年(一五五六)深溝ふこうず(現額田郡幸田町)城主松平好景の所領。永禄四年(一五六一)二月中島城主となった好景の子伊忠領、同年四月善明ぜんみよう堤の合戦後、牟呂むろ(室)城主富永伴五郎領、同年九月藤波畷ふじなみなわて(現幡豆郡吉良町)の戦で富永氏が戦死、岡崎城主本多広孝領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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