日本歴史地名大系 「求来里村」の解説 求来里村くくりむら 大分県:日田市求来里村[現在地名]日田市求来里田島(たしま)村の東方に位置し、府内・日田往還が通る。永正一四年(一五一七)一二月三日の山下長就打渡状写(西文書)に日田郡内一千九三〇貫文のうちとして「久来里百三十八町」とあり、当所などが西大膳大夫に知行分として打渡されている。慶長六年(一六〇一)の予州替地御知行所目録(佐伯藩政史料)に「くゝり村」とみえ、高一千三四六石余。これは刃連(ゆきい)村分を含むと思われ、同七年の玖珠郡・日田郡御蔵入目録(同史料)では同村とともに物成四〇七石余とあり、うち米一八六石余・大豆一六六石余・稗一九石余・蕎一七石余・大唐一九石余・粟八石余となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by