方形の基台上に四角の塔身を据え,方形の階段状の屋根を置き,上に相輪を立て,四隅に突起状の飾りをつけた形の塔で,内部に宝篋印陀羅尼を収めたためにこの名がある。法隆寺夢殿救世観音の光背刻出の塔や,法隆寺金堂多聞天捧持の5本の相輪をつけた塔などは原始宝篋印塔と称され,飛鳥時代までさかのぼる。宝篋印陀羅尼は,一切如来の心内にある秘密の全身舎利を念じこめた呪文(陀羅尼)で,これを収めた塔を礼拝することによって罪障を消滅し,苦を免れ,長寿を得るとして,この信仰は広まった。中国では五代の呉越王銭弘俶(せんこうしゆく)が八万四千の小塔を鋳造し,中にこの呪を収めたが,日本でもこれにならい,木製の小宝篋印塔の底穴に,宝篋印陀羅尼を墨書した紙で籾一粒ずつを包んで納置した籾塔(もみとう)が行われた。金剛峯寺の金銅製宝篋印塔(1287,弘安10)は,銘文によって古くは骨が納められていたことが知られる。鎌倉時代には石造の宝篋印塔の造立が盛んで,全階式(屋根,軒出,基台ともに階をなす)と蓮華式(軒出,基台に蓮華装飾を施す)に大別され,前者は近畿地方以外に,後者は近畿地方に多い。その他,梟(ふくろう)宝篋印塔,古式宝篋印塔や,まれに2重,3重のものもある。
→塔
執筆者:石田 尚豊
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木造・銅造もあるが、一般には墓地に造立された石塔。蓋(かさ)(笠)の部分の四隅に馬耳形の突起(方位)をもつのが特徴である。本来は宝篋印陀羅尼(だらに)を納めるための塔であったが、のちにはこの特徴をもつ塔の名称となった。中国の呉越(ごえつ)王の銭弘俶(せんこうしゅく)が作成した金銅製の八万四千塔に倣って、日本でも宝篋印陀羅尼を墨書した紙で籾(もみ)を一粒ずつ包んで納めた5センチメートルほどの籾塔(もみとう)が作成されたのに始まるとされる。この籾塔は奈良県室生(むろう)寺から発見された。銅造では高野山(こうやさん)から発掘された弘安(こうあん)10年(1287)の銘文をもつものがあり、石造では鎌倉の岩窟(がんくつ)から出土した宝治(ほうじ)2年(1248)銘のものなどが古い。鎌倉中期以降は石造のものが多くなる。古代のものは基座の上に方形の塔身を置き、上面の平らな蓋の上に5本の相輪(そうりん)を立てたものであり、中世以降のものは基礎の上に方形の塔身、その上に蓋、相輪が置かれ、蓋には数段の階段があり、四隅に馬耳形の突起が設けられている。突起は早期のものほど直線的である。
[廣瀬良弘]
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…木造塔は多層塔(3,5,7,9,13層)と多宝塔が普通である。石塔は日本では小さなものしかなく,形式としては多層塔,多宝塔,宝塔,宝篋印(ほうきよういん)塔,五輪塔,無縫塔,笠塔婆などがある。鉄塔や銅塔には相輪橖(そうりんとう),宝塔,五輪塔などがある。…
… 平安末期ころから埋葬地に石製や木製の卒都婆を立てることが一般的となった。五輪塔や宝篋印塔(ほうきよういんとう)がよく使われた。さらに火葬骨や爪髪などを木製の五輪塔や竹の簡にこめて兜率天(とそつてん)の浄土であると信じられた高野山の奥の院へ納める風習も発生した。…
※「宝篋印塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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