池永城跡(読み)いけながじようあと

日本歴史地名大系 「池永城跡」の解説

池永城跡
いけながじようあと

[現在地名]中津市上池永

大貞おおさだ台地西縁で、勅使ちよくし道と宇佐道吹上ふきあげ坂との中間に位置する。こも神社大宮司池永氏の城屋敷跡である。文明年間(一四六九―八七)と推定される九月二七日の三郎左衛門書状案(永弘文書)によれば、池永近江守は大内氏の被官であったが上意に背いて没落した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む