沢良宜西村(読み)さわらぎにしむら

日本歴史地名大系 「沢良宜西村」の解説

沢良宜西村
さわらぎにしむら

[現在地名]茨木市沢良宜西一―四丁目・天王てんのう二丁目・高浜たかはま町・横江よこえ一丁目・美沢みさわ町など

沢良宜東村の西に隣接し、茨木川・防領ぼうりよう川・あさ川などが流れる低湿地帯。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図に「西サワラキ村」とみえる。江戸時代初期頃は沢良宜東・沢良宜浜さわらぎはま両村と郷的結び付きが強く、元和初年の摂津一国高御改帳には「西村」とみえ、高槻藩内藤信正領。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳には「西沢良宜村」とあり、村高四二八石余。明暦二年(一六五六)まで京都所司代板倉重宗領。その後幕府領となり、寛文六年(一六六六)村高のうち四〇〇石は旗本森川長重に与えられ、森川領として幕末に至った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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