神社【じんじゃ】
日本固有の民族的信仰に基づき,神(天神地祇(ちぎ),祖神,崇敬神,天皇,皇族,その他の人霊)をまつる一定の様式をもった建築物(拝殿,本殿,幣殿など)と,それを中心とする祭祀儀礼,信仰の組織をいう。 神社の先駆的な形態は磐座,磐境(いわさか)のような神聖な場所に神籬(ひもろぎ)を設けて神をまつったものと考えられる。祭祀は氏族の長老・当番・その他の指導者によって行われ,春の豊年祈念と秋の収穫感謝の祭が中心であった。古くは地域集団と血族集団の関係が密接であったので,氏神と産土(うぶすな)神などが崇拝の中心的対象であり,その祭場が集落の集会場ともなるに及んで,専門の司祭者や常設の社殿が建てられるようになった。 大和朝廷の統一の過程で,各地にあった神社も整理統合されていった。律令制下では太政官の下に神祇官を置き,官・国幣社と大・小社の区別が定まり,これらは延喜式に詳しい。平安時代には朝廷は各社に位階を授けた。平安中期には畿内での大きな神社が,特殊な扱いを受けるようになり,式内社に対して畿内社と呼ばれた。これに対し,地方では代表的神社を一宮とし,また国府の近くに惣社(総社)を勧請した。 鎌倉時代には神社は幕府によって特別の保護を加えられ,武神とされる八幡宮の信仰が起こった。江戸時代には寺社奉行の支配下に入った。明治維新では〈国家の宗祀〉とされ,神職は官吏もしくはそれに準じることとなり,官・国幣社,県・村・郷社などの社格が定められたが,戦後廃止された。→神社建築/神社神道
→関連項目社
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神社
じんじゃ
日本固有の神々を祀る神道特有の建築物をいい,あわせて祭祀,信仰の組織をもさす。その起源は磐境 (いわさか) ,神籬 (ひもろぎ) にあるとされる。祭祀は春の豊年祈念,秋の豊穣感謝が中心で,氏神と産土 (うぶすな) 神がおもな祭神であった。律令制下では神祇官のもとに官幣,国幣の別,大社,小社の別,式内社,畿内社のほかに全国に一の宮が定められた。江戸時代には寺社奉行に支配され,明治に入って「国家の宗祀」となり官幣社 (大,中,小) ,国幣社 (大,中,小) ,府社,県社,郷社,村社ならびに無格社の社格が定められ,そのうえに伊勢神宮がおかれた。第2次世界大戦後,GHQの「神道指令」で国家との関係を解かれ,宗教法人となった。全国に約8万 6000社ある。
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じん‐じゃ【神社】
〘名〙 日本人固有の信仰対象となっている神をまつり、法的に
存立を認められた礼拝施設。明治以降、国家の祭祀として特別の保護、監督を受けてきたが、第二次世界大戦後は宗教法人令による宗教法人となり、その大半(約八万社)が神社本庁の包括下にある。やしろ。みや。
※三代格‐一・神亀二年(725)七月二〇日「神社事」
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デジタル大辞泉
「神社」の意味・読み・例文・類語
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じんじゃ【神社】
神道の信仰にもとづいて,神々をまつるために建てられた建物,もしくは施設を総称していう。やしろ(社),ほこら(祠)。一般には,神が鎮座する本殿,神を礼拝しさまざまな儀礼を行う拝殿,本殿・拝殿などを囲む瑞垣(みずがき),神域への門に相当する鳥居などからなり,そのほかに神宝を納める宝殿,参拝者が心身を浄めるための手水舎(ちようずや),神に奉納する神楽(かぐら)を奏する神楽殿,神官の執務のための社務所,神苑などさまざまな施設を併せている。
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普及版 字通
「神社」の読み・字形・画数・意味
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神社
おがみじんじや
[現在地名]八戸市内丸二丁目
内丸二丁目の南西、旧二の丸の北に位置する。祭神は高
神で、旧村社。明治初年まで法霊社と称したが、廃仏毀釈により現社名に改めた。
寛文五年(一六六五)の無量院の御立願状(常泉院文書)に「一御城二ノ丸 宝領神 戸張銭堂納事」とある。盛岡藩時代から八戸城の館神として信仰され、八戸藩時代には藩神的地位にあった。伝説では法領という山伏が雨乞のため身投げしたと伝えるところから(「八戸祠佐嘉志写」八戸市立図書館蔵)、元来は水神信仰に基づくものとみられ、八戸城築城以前は八戸村の産土神であったと考えられる。雑書の承応二年(一六五三)四月一八日条に「八戸御館神法領」とあり、一九日条に別当大善院とみえる。「八戸藩史料」などによれば明暦四年(一六五八)別当持高として二〇石が給された。元来は本丸に鎮座していたといわれ、八戸藩の創設当初現在地に遷座されたと伝える(八戸祠佐嘉志写)。

神社
かんじやじんじや

神社
みかじんじや
神社
くずじんじや
[現在地名]都祁村大字藺生
藺生の南東方に鎮座。九頭神社とも書く。祭神は出雲建雄神。旧村社。「大和志」は「出雲建雄神社、所在未詳、或曰在藺生村今称葛神即此」として「延喜式」神名帳の山辺郡「出雲建雄神社」にあてるが、現在、石上神宮(現天理市)南門脇にも出雲建雄神社がある。社記に祭神は出雲建雄神または建速素盞嗚命とされ、江戸時代の調書によると大永四年(一五二四)に領主小田氏が社殿を造営し、文明四年(一四七二)以来の形式によって祭礼が執行されたという。
神社
ならじんじや
[現在地名]天理市楢町
楢集落南東、楢川の南岸に鎮座。祭神は五十狭芹彦命。昭和三〇年(一九五五)頃まで五十狭芹彦命神社と称したが、五十狭芹彦を祀った理由は不明。五十狭芹彦命は別名吉備津彦命といい、崇神天皇の代に四道将軍の一人として西道に派遣され、また謀反を企てた武埴安彦と吾田媛を討って功があった(日本書紀)。神社はもと約一キロ東の宮山(東大寺山)にあったと伝えられ、宮山には現在天照大神を祀る神明神社が鎮座し、当社を下の宮というのに対して上の宮と称する。
神社
もみじんじや
[現在地名]東脊振村大字大曲字横田
背振山地から南に延びた洪積丘陵と田手川の沖積平野の境界付近にある。籾権現文書に
<資料は省略されています>
とあり、鎌倉時代後期の史料にその名がみえる。明治四年(一八七一)の神社調差出帳によれば、天暦八年(九五四)尾張国熱田神宮をこの地に勧進したとある。祭神は倉稲魂命・日本武尊。旧村社。
「佐賀県神社誌要」によれば、元亀三年(一五七二)神埼の雄江上武種は竜造寺隆信の次男を養子とし、江上又四郎宗種と改めさせ勢福寺城(現神埼町)を譲り、自らは田手の日吉城(現三田川町)に入って隠居した。
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世界大百科事典内の神社の言及
【国家神道】より
…69年には宣教使がおかれ,翌年には大教宣布の詔が下されて,祭政一致のイデオロギーによる国民教化の方針がいっそう明確にされた。また,東京招魂社(のちの靖国神社),楠社(のちの湊川神社)など新しい神社がつくられ,天長節,神武天皇祭などの祝祭日を定めて,全国的に遥拝式が行われたりした。 神祇官を中心とするこうした諸政策は,神道国教化政策と呼ばれている。…
【社号】より
…神社の名称のこと。祭神名,鎮座地名,祭場・祭祀の由来等によって名付けられる場合が多い。…
【神道】より
…しかし,明治時代に神道が国教化されると,国家の祭祀として宗教を超えたものと主張された神道は,大教,本教,古道,惟神道(かんながらのみち)などと呼ばれ,仏教やキリスト教と同列とされた教派神道諸派が神道の語で呼ばれたこともあって,日本固有の民族宗教をあらわすことばは多様なままに推移し,研究者の間でも神祇,神祇信仰ということばが用いられることが多かった。他方,西欧諸国の日本研究・紹介者の間では,Shinto,Shintoismの語が一般化したため,昭和に入り日本人の間でも,神道ということばが一般に用いられるようになり,日本固有の信仰の多様な性格を,古神道,神社神道,教派神道,民俗神道をはじめさまざまに分けて考えることも一般化した。
[神と祭り]
古代の日本人は,人間の力を超えたものに対し,おそれ,かしこむ心を抱き,そうした心情をおこさせるものをカミと呼んだ。…
【鳥居】より
…神社の参道入口などに建つ一種の門で,独特の単純な様式をもち,神社の象徴のようになっている。神社には必ず1基またはそれ以上の鳥居があるといっていい。…
※「神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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