神社(読み)じんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「神社」の意味・読み・例文・類語

じん‐じゃ【神社】

〘名〙 日本人固有の信仰対象となっている神をまつり、法的に存立を認められた礼拝施設。明治以降、国家の祭祀として特別の保護、監督を受けてきたが、第二次世界大戦後は宗教法人令による宗教法人となり、その大半(約八万社)が神社本庁の包括下にある。やしろ。みや。
三代格‐一・神亀二年(725)七月二〇日「神社事」

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デジタル大辞泉 「神社」の意味・読み・例文・類語

じん‐じゃ【神社】

神道の神を祭り、祭祀さいしや参拝のための施設のある所。また、その建物。やしろ。おみや。
[類語]やしろみや神殿神廟しんびょう社殿廟宇びょうう神宮鎮守ちんじゅほこら大社稲荷八幡本社摂社末社祠堂

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日本歴史地名大系 「神社」の解説

神社
おがみじんじや

[現在地名]八戸市内丸二丁目

内丸うちまる二丁目の南西、旧二の丸の北に位置する。祭神は高神で、旧村社。明治初年まで法霊ほうりよう社と称したが、廃仏毀釈により現社名に改めた。

寛文五年(一六六五)の無量院の御立願状(常泉院文書)に「一御城二ノ丸 宝領神 戸張銭堂納事」とある。盛岡藩時代から八戸城の館神として信仰され、八戸藩時代には藩神的地位にあった。伝説では法領という山伏が雨乞のため身投げしたと伝えるところから(「八戸祠佐嘉志写」八戸市立図書館蔵)、元来は水神信仰に基づくものとみられ、八戸城築城以前は八戸村の産土神であったと考えられる。雑書の承応二年(一六五三)四月一八日条に「八戸御館神法領」とあり、一九日条に別当大善院とみえる。「八戸藩史料」などによれば明暦四年(一六五八)別当持高として二〇石が給された。元来は本丸に鎮座していたといわれ、八戸藩の創設当初現在地に遷座されたと伝える(八戸祠佐嘉志写)

神社
ならじんじや

[現在地名]天理市楢町

楢集落南東、楢川の南岸に鎮座。祭神は五十狭芹彦いさせりひこ命。昭和三〇年(一九五五)頃まで五十狭芹彦命神社と称したが、五十狭芹彦を祀った理由は不明。五十狭芹彦命は別名吉備津彦きびつひこ命といい、崇神天皇の代に四道将軍の一人として西道に派遣され、また謀反を企てた武埴安彦と吾田媛を討って功があった(日本書紀)。神社はもと約一キロ東のみや(東大寺山)にあったと伝えられ、宮山には現在天照大神を祀る神明神社が鎮座し、当社を下の宮というのに対して上の宮と称する。

神社
みかじんじや

[現在地名]美里町広木

国道二五四号の北に鎮座する。鬱蒼とした杉林に囲まれ、水田を挟んで北に摩訶まが池が近接する。祭神は櫛御気野命・櫛玉命で、旧県社。「延喜式」神名帳にみえる那珂なか郡の「神社」(ミカノ、ミカノヰノ)に比定される。境内の南の丘陵には六世紀以降の集落跡があり、所在地の広木ひろきは「和名抄」にみえる弘紀ひろき郷の遺称地とされる。行田市長久ちようきゆう寺が所蔵する明応七年(一四九八)七月の年紀をもつ大般若経巻第一一〇奥書に「児玉郡塩谷郷阿那志県玉大明神宮」とあるのは、当社のことであろう。享保八年(一七二三)正一位を授けられたと伝えられ、宝暦八年(一七五八)の石碑に「正一位みかの神社」と刻される。

神社
かんじやじんじや

[現在地名]高萩市高戸

海岸線に張出した台地の傾斜面に鎮座。祭神は天御中主命。旧村社。「松岡地理志」には「大明神」とあり、寛文三年(一六六三)の鎮守開基帳(彰考館蔵)には「冠者明神社」とある。「水府志料」によれば、永和元年(一三七五)下総国千葉氏一族の平重正が下手綱しもてつな館の坊たてのぼうに移り住んで手綱太郎と称し、妙見大菩薩を守護神とした。これより先近江国佐々木氏の裔孫落合小太郎が高戸たかどに来寓、のち修験小衡しようこう院と号して妙見みようけん社の別当を勤めた。手綱氏が衰えてのち妙見社も破損したのでこれを小衡院に移し、永正三年(一五〇六)高戸一村の鎮守とし、改めて「大明神社」と称したという。

神社
もみじんじや

[現在地名]東脊振村大字大曲字横田

背振せふり山地から南に延びた洪積丘陵と田手たで川の沖積平野の境界付近にある。籾権現文書に

<資料は省略されています>

とあり、鎌倉時代後期の史料にその名がみえる。明治四年(一八七一)の神社調差出帳によれば、天暦八年(九五四)尾張国熱田あつた神宮をこの地に勧進したとある。祭神は倉稲魂命・日本武尊。旧村社。

「佐賀県神社誌要」によれば、元亀三年(一五七二)神埼の雄江上武種は竜造寺隆信の次男を養子とし、江上又四郎宗種と改めさせ勢福寺せいふくじ(現神埼町)を譲り、自らは田手の日吉ひよし(現三田川町)に入って隠居した。

神社
くずじんじや

[現在地名]都祁村大字藺生

藺生いうの南東方に鎮座。九頭くず神社とも書く。祭神は出雲建雄いずものたけお神。旧村社。「大和志」は「出雲建雄神社、所在未詳、或曰在藺生村今称葛神即此」として「延喜式」神名帳の山辺やまべ郡「出雲建雄神社」にあてるが、現在、石上いそのかみ神宮(現天理市)南門脇にも出雲建雄神社がある。社記に祭神は出雲建雄神または建速素盞嗚たけはやすさのお命とされ、江戸時代の調書によると大永四年(一五二四)に領主小田氏が社殿を造営し、文明四年(一四七二)以来の形式によって祭礼が執行されたという。

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改訂新版 世界大百科事典 「神社」の意味・わかりやすい解説

神社 (じんじゃ)

神道の信仰にもとづいて,神々をまつるために建てられた建物,もしくは施設を総称していう。やしろ(社),ほこら(祠)。一般には,神が鎮座する本殿,神を礼拝しさまざまな儀礼を行う拝殿,本殿・拝殿などを囲む瑞垣(みずがき),神域への門に相当する鳥居などからなり,そのほかに神宝を納める宝殿,参拝者が心身を浄めるための手水舎(ちようずや),神に奉納する神楽(かぐら)を奏する神楽殿,神官の執務のための社務所,神苑などさまざまな施設を併せている。古い時代には,おそれかしこんでまつられる神々は,人間の住む所から遠く離れた世界に住んでいると考えられていたので,神々をまつるためには,高い山の頂,大きい森の中などで神々を迎える準備をし,そこを〈神奈備(かんなび)〉と呼び,大きい岩石,高い樹木などを神々が寄りつくものと考えて,〈神籬(ひもろぎ)〉〈磐座・磐境(いわくらいわさか)〉などと呼んだ。その後,建築技術が発達するにつれて,人間が住むみや(宮),みあらか(御殿)に擬して神宮,神社を建造するようになったと考えられる。

 記紀神話によれば,出雲の国譲りに際し,天照大神は大国主神に対して,日隅宮(ひすみのみや)を建造すべきことを約束し,また瓊瓊杵(ににぎ)尊が日向の高千穂の峯に降臨したとき,これを八衢(やちまた)に迎えた猿田彦神は,地上に降って伊勢の五十鈴河のほとりに退いたが,のちにその地に倭姫命がたどりつき,天照大神の神鏡を鎮祭するに至ったと伝えている。この神話は,のちの出雲大社と伊勢神宮の起源を語るもので,両宮は日本の神社の中で最古のものと考えられた。その後,崇神天皇のときに,大国主神の子大物主神を大和の三輪山にまつり,また倭大国魂神を同国の山辺郡にまつったとあるが,それらは出雲,伊勢につぐ神社であった。以上の例から明らかなように,大和朝廷はその国土統一にあたって,みずからの神々の社〈天社(あまつやしろ)〉のほかに,いわば先住民族(出雲系)の神々の社〈国社(くにつやしろ)〉をまつったと考えられる。

 やがて律令体制が整えられると,太政官のほかに神祇官(じんぎかん)が置かれ,神祇官は祈年,新嘗,月次,大祓などの祭りごとに天神地祇に奉幣するものとされた。神祇官が直接に奉幣する神社は官幣社,地方の神々の社で国司が奉幣する神社は国幣社と呼ばれた。10世紀の初頭にまとめられた《延喜式》には,全国で2861の神社,3132座の神名が記載されているが,そこに見える神社を後世式内社(しきないしや)という。また式内社以外に六国史に名が記されている神社が391社あり,それらを国史現在社といった。こうした三千数百の神社は,国家が公認した特殊な勢力のある神社で,各地の集落の生活と結びついた神社はさらに多かったものと思われる。国司は任国内の神々をまつることを第一の任務としていたが,平安時代には,奉幣に際して,参拝する順序がきまり,一宮,二宮,三宮などのように各国内の神社の社格を示すようにもなった。さらに平安時代になると,国内の神々を一ヵ所にまつる総社そうじや)が建てられたりした。朝廷でも全国の神社に奉幣するかわりに,畿内の二十二社(にじゆうにしや)に奉幣することが多くなり,二十二社に選ばれた神社は特別の社格を認められたもののように考えられた。

 鎌倉時代以降,幕府や大名はいずれも神社の修理造替につとめ,神領地を寄進し敬神の態度をとった。明治時代になって,政府は神祇官を再興し,官国幣社の号を復し,府県社,郷社,村社などの社格を定め,その崇敬と維持を道徳の基本として,国民に強要した。他方,私人がその邸内などに勧請設置した分社や小祠の類はこれを神社とは認めず,一般公衆が自由に参詣しうることを神社の要件の一つと定め,また神社は必ず府県の社寺課に備えられた神社明細帳に登録されるべきものとした。

 第2次大戦の後,神社はすべて国家もしくは自治体のいっさいの保護援助をも受けることを止められ,仏教の寺院やキリスト教の教会などと同じく一つの宗教団体として取り扱われるようになった。現在のところ全国の多くの神社を統合した神社本庁という組織が一つの宗教法人となって活動しており,少数の神社がそれに加わらず別の宗教法人となっている。
神社建築 →神道
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百科事典マイペディア 「神社」の意味・わかりやすい解説

神社【じんじゃ】

日本固有の民族的信仰に基づき,神(天神地祇(ちぎ),祖神,崇敬神,天皇,皇族,その他の人霊)をまつる一定の様式をもった建築物(拝殿,本殿,幣殿など)と,それを中心とする祭祀儀礼,信仰の組織をいう。 神社の先駆的な形態は磐座,磐境(いわさか)のような神聖な場所に神籬(ひもろぎ)を設けて神をまつったものと考えられる。祭祀は氏族の長老・当番・その他の指導者によって行われ,春の豊年祈念と秋の収穫感謝の祭が中心であった。古くは地域集団と血族集団の関係が密接であったので,氏神産土(うぶすな)神などが崇拝の中心的対象であり,その祭場が集落の集会場ともなるに及んで,専門の司祭者や常設の社殿が建てられるようになった。 大和朝廷の統一の過程で,各地にあった神社も整理統合されていった。律令制下では太政官の下に神祇官を置き,官・国幣社と大・小社の区別が定まり,これらは延喜式に詳しい。平安時代には朝廷は各社に位階を授けた。平安中期には畿内での大きな神社が,特殊な扱いを受けるようになり,式内社に対して畿内社と呼ばれた。これに対し,地方では代表的神社を一宮とし,また国府の近くに惣社(総社)を勧請した。 鎌倉時代には神社は幕府によって特別の保護を加えられ,武神とされる八幡宮の信仰が起こった。江戸時代には寺社奉行の支配下に入った。明治維新では〈国家の宗祀〉とされ,神職は官吏もしくはそれに準じることとなり,官・国幣社,県・村・郷社などの社格が定められたが,戦後廃止された。→神社建築神社神道
→関連項目

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普及版 字通 「神社」の読み・字形・画数・意味

【神社】じんじや

やしろ。〔墨子、明鬼下〕此の二子のすること三年なるも、獄斷(さだ)まらず。~乃ち二人をして一羊を共(供)せしめ、齊のはしむ。二子許す。

字通「神」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「神社」の意味・わかりやすい解説

神社
じんじゃ

日本固有の神々を祀る神道特有の建築物をいい,あわせて祭祀,信仰の組織をもさす。その起源は磐境 (いわさか) ,神籬 (ひもろぎ) にあるとされる。祭祀は春の豊年祈念,秋の豊穣感謝が中心で,氏神と産土 (うぶすな) 神がおもな祭神であった。律令制下では神祇官のもとに官幣,国幣の別,大社,小社の別,式内社,畿内社のほかに全国に一の宮が定められた。江戸時代には寺社奉行に支配され,明治に入って「国家の宗祀」となり官幣社 (大,中,小) ,国幣社 (大,中,小) ,府社,県社,郷社,村社ならびに無格社の社格が定められ,そのうえに伊勢神宮がおかれた。第2次世界大戦後,GHQの「神道指令」で国家との関係を解かれ,宗教法人となった。全国に約8万 6000社ある。

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世界大百科事典(旧版)内の神社の言及

【国家神道】より

…69年には宣教使がおかれ,翌年には大教宣布の詔が下されて,祭政一致のイデオロギーによる国民教化の方針がいっそう明確にされた。また,東京招魂社(のちの靖国神社),楠社(のちの湊川神社)など新しい神社がつくられ,天長節,神武天皇祭などの祝祭日を定めて,全国的に遥拝式が行われたりした。 神祇官を中心とするこうした諸政策は,神道国教化政策と呼ばれている。…

【社号】より

…神社の名称のこと。祭神名,鎮座地名,祭場・祭祀の由来等によって名付けられる場合が多い。…

【神道】より

…しかし,明治時代に神道が国教化されると,国家の祭祀として宗教を超えたものと主張された神道は,大教,本教,古道,惟神道(かんながらのみち)などと呼ばれ,仏教やキリスト教と同列とされた教派神道諸派が神道の語で呼ばれたこともあって,日本固有の民族宗教をあらわすことばは多様なままに推移し,研究者の間でも神祇,神祇信仰ということばが用いられることが多かった。他方,西欧諸国の日本研究・紹介者の間では,Shinto,Shintoismの語が一般化したため,昭和に入り日本人の間でも,神道ということばが一般に用いられるようになり,日本固有の信仰の多様な性格を,古神道,神社神道,教派神道,民俗神道をはじめさまざまに分けて考えることも一般化した。
[神と祭り]
 古代の日本人は,人間の力を超えたものに対し,おそれ,かしこむ心を抱き,そうした心情をおこさせるものをカミと呼んだ。…

【鳥居】より

…神社の参道入口などに建つ一種の門で,独特の単純な様式をもち,神社の象徴のようになっている。神社には必ず1基またはそれ以上の鳥居があるといっていい。…

※「神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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