河南庄(読み)かわなみのしよう

日本歴史地名大系 「河南庄」の解説

河南庄
かわなみのしよう

遺称地は存在しないが、現滑川市域に比定される。室町期の御料所と考えられ、文明二年(一四七〇)以前のものとみられる一二月二〇日の伊勢貞親書状案(内閣文庫蔵古文書)に「越中国河南庄」とみえ、政所執事であった伊勢貞親は智源禅門(蜷川親吉か)一期ののちの当庄代官職を智源の子息蜷川修理進に安堵すると伝えている。また同年のものとみられる一二月二一日の貞親子息の伊勢貞宗書状案(同文書)にも同内容の記述がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む