滑川市(読み)ナメリカワシ

デジタル大辞泉 「滑川市」の意味・読み・例文・類語

なめりかわ‐し〔なめりかは‐〕【滑川市】

滑川

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日本歴史地名大系 「滑川市」の解説

滑川市
なめりかわし

面積:五四・六一平方キロ

県の北東部に位置し、北は富山湾に面する。東は早月はやつき川を隔てて魚津市に、西は上市かみいち川を挟んで富山市、南は標高五〇〇―六〇〇メートルの洪積世の隆起扇状地(旧扇状地)の山稜によって中新川なかにいかわ郡上市町と画されている。市域の平野部は早月川・上市川によって形成された複合的な新扇状地で、穀倉地帯新川平野の中核をなしている。総面積のうち、平成四年度には耕地が四八・五パーセントで、県内では比較的耕地に恵まれている。海岸線は七・九キロで屈曲に乏しいが、冬期は北西の季節風の影響によって汀線の変化が激しく、とくに笠木かさぎ浜四ッ屋はまよつや、旧滑川町いま町・武平太ぶへいだ町や領家りようけ町・高月たかつき町地先において著しい海岸浸食がみられる。

早月川が現在の河道にほぼ固定され、統一した護岸堤防が築かれたのは近世に入ってからである。それ以前は扇頂の大浦おおうら付近から下流は扇状地特有の暴れ川で、とくに今日の郷川ごうがわ用水・鋤川すけがわ用水・北野中村きたのなかむら用水の水系が代表的な分流となっており、半開の扇をなして土砂を堆積させていた。扇状地の表面には凹凸がみられ、古い河道を示す低い所が幾筋もあり、これらの川跡に囲まれた微高地が扇状地の傾斜に沿って細長く分布している。微高地を形成しているのは洪水による泥または微粒の砂が堆積した自然堤防で、比較的肥沃地である。これに対し旧川跡は砂礫層によって構成された浅耕土で、微高地に比してやせ地となっている。微高地は扇状地特有の洪水でしばしば消滅する一方、新たに形成された微高地に早くから集落ができて農耕生活が行われたと考えられる。現在、富山湾岸から内陸部にかけてJR北陸本線・国道八号、および滑川インターチェンジのある北陸自動車道が併行して走り、上市町から魚津方面に向かう富山地方鉄道本線が通る。

滑川の史料的初見は「祇園社家条々記録」に文治二年(一一八六)六月一六日の京都祇園社六月法会の料所として堀江ほりえ庄および梅沢うめざわ小泉こいずみとともに「滑河」と記される。「滑川町誌」には地名由来が三説紹介される。一つは滑川の古地が伏鬼ふしきと称して賑わった湊であったが、海岸浸食により大部分伏木ふしき(現高岡市)に転じ、残った者が辰尾たつのお(タツオともいう)に移り、隣村の中河原なかがわら(中川原村)から清水が湧いてこの地へ流れたのを滑川とよんだことにちなむという。また波入川なみいりがわの名が古くからあり、承久の乱の折に北条朝時が越中に進攻した際、鎌倉の滑川に似ていたところから名付けられたとも伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滑川市」の意味・わかりやすい解説

滑川〔市〕
なめりかわ

富山県中央北部,富山湾にのぞむ市。 1953年滑川町 (1889年町制) と浜加積 (はまかづみ) ,早月 (はやつき) 加積,北加積,東加積,中加積,西加積の6村が合体し,54年市制。古くは加積郷と呼ばれた。中心市街地は北陸道に沿う宿場町で,本陣がおかれた。工業は製薬のほか,カーバイド,カーボン,電機などの工場がある。低開発地域工業開発地区に指定され機械工業センターが立地。町域の大部分は早月川の形成する扇状地で,米作などの農業が盛ん。初夏には沖合いに蜃気楼が現れ,ホタルイカが群遊する。ホタルイカ群遊海面として,特別天然記念物に指定。湾岸部を JR北陸本線,国道8号線,南部を北陸自動車道が走りインターチェンジがある。面積 54.62km2。人口 3万2349(2020)。

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