河合新蔵(読み)カワイ シンゾウ

20世紀日本人名事典 「河合新蔵」の解説

河合 新蔵
カワイ シンゾウ

明治〜昭和期の洋画家



生年
慶応3年5月27日(1867年)

没年
昭和11(1936)年2月25日

出生地
大阪

経歴
明治24年上京して五姓田芳柳師事、のち小山正太郎の不同舎に学ぶ。33年満谷国四郎らと渡米、翌34年パリのアカデミー・ジュリアン、アカデミー・コラロッシュに学んだ。37年帰国し、39年大下藤次郎、丸山晩霞らと日本水彩画研究を創設、のち日本水彩画会創設に参加。43年京都に移住し、関西美術院教授に就任、関西画壇で活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河合新蔵」の解説

河合新蔵 かわい-しんぞう

1867-1936 明治-昭和時代前期の洋画家。
慶応3年5月27日生まれ。五姓田芳柳(ごせだ-ほうりゅう)に師事,のち小山正太郎の不同舎にまなぶ。アメリカ,フランスに留学し,明治39年日本水彩画会研究所設立に参加。のち関西画壇で活躍した。昭和11年2月15日死去。70歳。大坂出身。号は無涯作品に「ポプラーと夏蜜柑(みかん)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「河合新蔵」の解説

河合 新蔵 (かわい しんぞう)

生年月日:1867年5月27日
明治時代-昭和時代の洋画家。関西美術院教授
1936年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の河合新蔵の言及

【明治・大正時代美術】より

…これらの中では,《天平の面影》(1902)や《蝶》(1904)を描いた藤島武二と,彼の影響を受けて《海の幸》(1904)や《わだつみのいろこの宮》(1907)のように詩情豊かな浪漫的な作風をうち出した青木繁が傑出している。 明治美術会にも,欧米に学んだ中村不折,満谷(みつたに)国四郎(1874‐1936),吉田博(1876‐1950),鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)(1874‐1941),中川八郎(1877‐1922),河合新蔵(1867‐1936),丸山晩霞(1867‐1942),大下藤次郎などが現れて,1901年太平洋画会を興し,白馬会に対抗した。しかし07年文部省美術展覧会(文展)が設立されると,黒田のアカデミックな写実に印象派の色彩を加えた明るい外光主義の画風,すなわち美術学校と白馬会の画風が,日本のアカデミズムとして洋画界を支配するようになっていった。…

※「河合新蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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