日本歴史地名大系 「河曲庄」の解説 河曲庄かわわのしよう 三重県:鈴鹿市旧河曲郡地区河曲庄河曲郡内に位置したことは明らかであるが、荘域は不明。「中右記」長承二年(一一三三)七月二三日条に「次参大殿、越後荘事申了、伊勢国河曲荘盛信所労無術之由所承也(下略)」とある。大殿は荘の領主前関白忠実で、盛信は預所であろう。建長五年(一二五三)一〇月二一日付近衛家所領目録(近衛家文書)に「京極殿領内伊勢国河曲庄自普賢寺殿直被給之、有書状、春日局知行之 已上四ケ所内、河曲庄不勤仕課役」とあり、ここも鎌倉時代は近衛家領であった。建武二年(一三三五)九月二日付太政官符(神宮文庫蔵御鎮座伝記紙背文書)で、伊勢国三二ヵ所の所領が伊勢両宮に寄進されたが、そのなかに「河曲庄池田東西年貢不輸恵清跡」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報