旺文社世界史事典 三訂版 「河西回廊」の解説
河西回廊
かせいかいろう
点在するオアシスをつないで,中国と中央アジアを結ぶ回廊地帯と呼ばれた,東西交通の要衝。匈奴の支配下にあったが,張騫 (ちようけん) の西方探索によって前漢武帝が河西4郡を設置,漢人がこの地域へ進出するようになった。唐代には河西節度使が置かれたが,安史の乱後は吐蕃の勢力下にはいり,11世紀には西夏の支配下にはいった。
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…河西とは中国甘粛省の黄河から西,祁連(きれん)山脈の北側にそった狭長な地域である。俗に河西回廊といわれ,砂漠の中にオアシスが点在してシルクロードの東端を形成する。漢の武帝はここを占拠していた匈奴を撃退し,東西貿易路を確保した。…
…中国,甘粛省北西部,北のモンゴル高原南縁山地と南の祁連(きれん)山脈の間,長さ約1000km,幅数km~100kmの廊下状の平地。別名河西回廊。西部に砂漠がひろがる。…
…1995)。古く黄河上流の重要な渡河地点で,中原地方と〈西域〉を結ぶ河西回廊地帯の交易,交通,軍事上の要地でもあり,唐代には吐蕃(とばん),宋代には西夏などが一時期この地を支配した。漢代以降金城県の地であったが,隋・唐代からは〈蘭州〉,清代には〈蘭州府〉の中心地となったことから今日の名前があり,宋代の城市が現在の市街地の基礎になった。…
※「河西回廊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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