コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

吐蕃 とばん Tu-fan

6件 の用語解説(吐蕃の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吐蕃
とばん
Tu-fan

7世紀初めに出現したチベット人による最初の統一国家をさす中国側の呼称。 11世紀以後のチベットをさしても用いられる。ソンツェンガンポ王によって国家としての制度が整い,その没後まもなく千戸編成による軍事国家組織が整えられた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

とばん【吐蕃】

7世紀初め、チベットに成立した王国の中国名。ソンツェン=ガンボが建国。しばしばと戦ったが、9世紀初め和平。843年に内紛により分裂し、崩壊。チベット文字が制定され、仏教が国教とされた。また、中国史料でチベット地方の称。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

吐蕃【とばん】

チベットに対する中国人の古称。7世紀初めから14世紀半ばまで使用。7世紀ソンツェン・ガンポ王がチベットを統一,強大となったが,9世紀半ば分裂,13世紀には元朝は土番等処宣慰司都元帥府を置いて統治を図った。
→関連項目タングートラサランダルマ楼蘭

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

とばん【吐蕃 Tǔ fān】

チベット人が初めて建てた王国に漢文史料が与えた名称。〈チベット〉の称と同様にタングート(党項)等の〈拓跋(たくばつ)〉氏に由来するという説から,王家が他の一族より南部に拠ったので,その部族名〈ピャphyva(不夜)〉に,〈南〉を意味する〈トlho〉を冠したlho phyvaの称ができて〈吐発〉と写され,蔑視的な立場から,さらに〈吐蕃〉とされたとする説まである。 チベット人は,建国の王ソンツェン(ソンツェン・ガンポ)以前ヤルルン地方に23代の王が拠ったと数えるが,漢文史料に伝えるように6代しかなかったらしい。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

とばん【吐蕃】

七世紀初めから九世紀中頃まで、ラサを都とする今のチベット地方にあった統一王国の、中国での呼び名。唐・インドの文化の影響を受けて栄えたが、のち唐に帰服。宋・元代では単にチベット地方をさしていう。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吐蕃
とばん

漢文史料でチベットをさしていう場合に用いられた名称。今日では唐と対立したチベット人の王朝をこの名称でさす場合が多い。吐蕃に対応する原語として「チベット」と共通の語源「拓跋(たくばつ)」をあてる説から、「吐」にlho(南)をあて、チベット支配階級の部族名Phyva、漢字で「不夜」などと写されるものが「蕃」に変えられたとする説まである。
 吐蕃王朝の遠祖は、ネパール北西にあるカイラーサの北辺から4世紀なかばごろに東部チベットのカムに移り、5世紀後半に中央チベット南部のヤルルンに拠(よ)って、1世紀後に中央チベットを掌握し、やがてチベット全土を制覇した。
 6世紀末にたったソンツェンガンポ王は、四川(しせん)のスムパ人を掌握することによってカム地方の離反を食い止め、隋(ずい)に討たれて青海南部に亡命していた吐谷渾と接近して、制度、文物を学び、620年代に官位12階を定めて諸氏族を統合支配し、王国を建てた。638年に唐と戦い、吐谷渾の一部を臣属させ、640年に唐から文成公主を迎えて和親した。この王の没後に完成した軍事国家組織を活用して、臣属させた吐谷渾の正統性とその権益の継承を主張し、659年から唐と戦い始め、戦線を南詔から中央アジアまで広げ、8世紀後半以後優位にたった。そのころから仏教を本格的に導入して、しだいに新しい知的エリート、僧の支配を受け、822年には唐と和平条約を結んだ。その後仏教による理想国建設の負担に押しつぶされて843年に支配階級が分裂し、滅んだ。[山口瑞鳳]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の吐蕃の言及

【青唐】より

…鄯州(ぜんしゆう)ともいった。当時,オルドス南部より以西,黄河上流域にかけてチベット系の諸部族が散在し,宋ではこれらを吐蕃と総称した。宋,西夏,遼の対立抗争に刺激をうけた吐蕃では統一運動がおこり,青唐方面のチベット族(青堂羌(せいどうきよう)ともいった)の領袖らは,西部のおそらくマルユルと思われる地方から吐蕃王朝の末裔である唃厮囉(こくしら)を迎えて基礎固めを行った。…

【チベット】より

…漢文史料で〈氐(てい)〉とか〈羌(きよう)〉と呼ばれていたものが古い時代のチベット系民族であるともされるが,確かではない。隋の時代にその存在が漢土に伝えられ,唐代に〈吐蕃(とばん)〉と呼ばれたのは,このチベット人が建てた最初の統一王国であった。
[吐蕃王国]
 この国はソンツェン・ガンポと呼ばれる王によって七世紀前半に建てられ,隋・唐2代の圧力によって滅亡の危機にあった吐谷渾(とよくこん)を併合し,代わって7世紀後半から東西通商路の東端と南縁の支配に乗り出した。…

【敦煌】より

…玄宗治世の開元・天宝年間(713‐755)の敦煌は,最も華やかな時代を迎えたのであり,莫高窟にも盛唐様式の華麗な浄土窟が数多く造営された。 ところが,755年(天宝14)に安禄山の反乱が起こって唐の支配力が弱まると,河西の通廊地帯には南から吐蕃(とばん)すなわちチベット人が侵入してきた。沙州つまり敦煌は執拗な抵抗をつづけたが,国都の長安にさえ長駆して一時は占領するほどの力量をもった吐蕃の軍事力によって,781年(建中2)には沙州の一角の寿昌県が破られ,787年(貞元3)に至ってついに全面的に降伏した。…

※「吐蕃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

吐蕃の関連キーワードソンツェンガンポチベット高原ロックヒルチベット高気圧支那チベット諸語チベットヒマラヤ山塊青海チベット(青蔵)高原亡命チベット人社会チベット種 (Tibet)チベット占星術

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

吐蕃の関連情報