法性宥鑁(読み)ホッショウ ユウバン

20世紀日本人名事典 「法性宥鑁」の解説

法性 宥鑁
ホッショウ ユウバン

明治〜昭和期の僧侶 真言宗泉涌寺派管長。



生年
万延1年(1860年)

没年
昭和4(1929)年11月10日

出身地
越後国(新潟県)

経歴
11歳で出家し高野山で学び、真言宗の僧となる。高野山遍光院の住職を経て、大正13年京都泉涌寺派管長に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「法性宥鑁」の解説

法性宥鑁 ほっしょう-ゆうばん

1860-1929 明治-昭和時代前期の僧。
万延元年生まれ。真言宗。11歳で出家し,高野山でまなぶ。高野山遍光院住職をへて,大正13年京都泉涌寺(せんにゅうじ)派管長に就任した。昭和4年11月10日死去。70歳。越後(えちご)(新潟県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む