法正橋村(読み)ほうじようばしむら

日本歴史地名大系 「法正橋村」の解説

法正橋村
ほうじようばしむら

[現在地名]新発田市法正橋

うら村の南に位置する。当地辺はかつては沼沢地で、天正一〇年(一五八二)新発田重家の軍勢に追撃された上杉景勝が苦戦した戦場である。「景勝一代略記」に「御陣所より五六里隔、ほうしやうはしとて、双方ハ沼ニて細道也、此所へ押かけ、後かり仕、菅名但馬守・水原・上野九兵衛討死也」とある。また「越後治乱記」も「此法(ママ)橋と申は、新発田より三拾丁程過て、沼に懸たる橋也、其より一里余りが内は深田にて、一騎打の細道也、懸る難所を計て、貝太(鼓)にて責懸りたり、先陣は既に半里斗も行ければ、取て返んとするも不叶、人馬入組んで前後左右へ不働」、殿軍の菅名・上野らが討死したと記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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