日本の城がわかる事典 「波賀城」の解説 はがじょう【波賀城】 兵庫県宍粟市波賀町にある山城(やまじろ)。戦国時代に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の播磨攻めで落城した城。独立峰の標高458mの城山山頂に築かれている。波賀は、因幡国、但馬国と播磨南部との交通の要衝であり、また防御上でも重要な地であった。築城年代は不明だが、波賀城はこの地の有力者であった波賀氏によって築かれたといわれている。鎌倉時代中頃から鎌倉幕府の御家人中村光時が城主となり、戦国時代末期の吉宗まで中村氏が20代にわたって居城したという。1580年(天正8)の羽柴秀吉の播磨攻めで、南にある長水城とともに落城した。1990年(平成2)から発掘調査が行われ、城跡は「波賀城史蹟公園」として整備された。また山麓から山頂の城郭に至る遊歩道がつくられ、城郭内には二層櫓(やぐら)、冠木門などが復元されており、二層櫓は内部を歴史資料館「波賀城学習資料館」として公開している。JR山陽本線・山陽新幹線姫路駅からバス山崎行(要乗り換え)または皆木行、原行、戸倉行で上野下車、徒歩20分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報