波賀(読み)はが

日本歴史地名大系 「波賀」の解説

波賀
はが

中世からみえる地名。波賀郷・波賀村などとも記され、史料や時期に応じて比定地が異なっていたと考えられる。平安時代後期の伯可はか庄の後身か。性空上人伝記遺続集(円教寺蔵)の如意堂九間造替の条に「九間渡長押木、波加郷住人沙弥西信施入、弘安二年己卯四月十五日斧初」とみえる。この波加郷(波賀郷)が収公された伯可庄を意味するのか、三方西みかたのさいをさすのか、後述の波賀村をさすのか解釈の分れるところだが、おそらくこの波賀郷は三方西の別名と思われる。「蔭涼軒日録」延徳四年(一四九二)四月一六日条に「中村・皆木・大河原、兄弟三人也、中村知行分、号波賀、皆木者中村三郎事也」とみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「波賀」の意味・わかりやすい解説

波賀
はが

兵庫県中西部、宍粟郡(しそうぐん)にあった旧町名(波賀町(ちょう))。現在は宍粟市北部を占める一地区。旧波賀町は1956年(昭和31)西谷、奥谷の2村が合併して町制施行。2005年(平成17)一宮(いちのみや)、千種(ちくさ)、山崎(やまさき)の3町と合併して宍粟市となる。中国山地に位置する山村で、わずかに揖保(いぼ)川支流の引原(ひきはら)川沿いに因幡(いなば)街道(国道29号)が走る。また、国道429号が東西に横断する。林業が主産業で、農業は兼業稲作を中心に、野菜、豆類などの栽培が行われている。旧町域全体が氷ノ山後山那岐山国定公園(ひょうのせんうしろやまなぎさんこくていこうえん)と音水深林(おんずいしんりん)県立自然公園域で、とくに音水渓谷、原不動滝、氷ノ山の原始林の景観が優れている。県営引原ダム、音水湖、ばんしゅう戸倉スキー場などがある。

[大槻 守]

『『波賀町沿革誌』(1957・波賀町)』『『波賀町誌』(1986・波賀町)』

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百科事典マイペディア 「波賀」の意味・わかりやすい解説

波賀[町]【はが】

兵庫県西部,宍粟(しそう)郡の旧町。揖保(いぼ)川上流の引原川流域を占め,ブナスギの美林が多く,木材クリ,シイタケを多産戸倉峠があり因幡(いなば)街道(国道29号線)が通じる。引原川の渓谷は紅葉の名所。引原ダムは播磨工業地域への工業用水を給水する。2005年4月宍粟郡山崎町,一宮町,千種町と合併し市制宍粟市となる。161.30km2。4940人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「波賀」の意味・わかりやすい解説

波賀
はが

兵庫県中西部,宍粟市北部の旧町域。揖保川の上流引原川流域にあり,北西は鳥取県に接する。 1956年西谷村と奥谷村が合体して町制。 2005年山崎町,一宮町,千種町の3町と合体して宍粟市となった。大半が山地で占められ,音水 (おんずい) ,赤西 (あかさい) はミズナラ,ブナの原生林で有名。一帯は 1959年完成の多目的の引原ダム (音水湖) とともに音水ちくさ県立自然公園に属し,スキーやキャンプでにぎわう。北部の山岳地帯は氷ノ山後山那岐山国定公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「波賀」の意味・わかりやすい解説

波賀 (はが)

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