波須村(読み)はすむら

日本歴史地名大系 「波須村」の解説

波須村
はすむら

[現在地名]大垣市波須・なか

東を揖斐いび川が南流し、大垣輪中の東部に位置する。南西東上面ひがしじようめん村。蓮とも記したが、元禄三年(一六九〇)蓮村を波須村と改称(座右秘鑑)。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に「はす村」とみえ、村高三五七石余。正保郷帳では蓮村とみえ、田高二七三石余・畑高八六石余。貞享二年(一六八五)の大垣領村々高帳では高四一四石余。元禄郷帳・天保郷帳には蓮村とあるが、宝暦五年(一七五五)の大垣藩筋分高附帳(大角文書)には波須村と記される。享和三年(一八〇三)の家数三六・人数一五一(新修大垣市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む