揖斐川(読み)イビガワ

デジタル大辞泉 「揖斐川」の意味・読み・例文・類語

いび‐がわ〔‐がは〕【揖斐川】

福井・岐阜県境の冠山かんむりやま付近に源を発して岐阜県西部を南流し、下流で長良川と並んで伊勢湾に注ぐ川。長さ121キロ。

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精選版 日本国語大辞典 「揖斐川」の意味・読み・例文・類語

いび‐がわ‥がは【揖斐川】

  1. 岐阜県南西部を流れる川。岐阜、福井県境付近に源を発し、下流で長良川と合流して伊勢湾に注ぐ。全長一〇七キロメートル。

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日本歴史地名大系 「揖斐川」の解説

揖斐川
いびがわ

岐阜・福井両県境に位置する美濃越前山地の北西端高倉たかくら峠付近を源流とし、峡谷をうがち、濃尾平野を経て伊勢湾に注ぐ。古くは伊尾川とも記され、上流山間部では久瀬くぜ川とよばれた。また流域住民には大川と通称された。源流域の揖斐郡藤橋ふじはし村で西谷にしたに川と坂内さかうち川を合流し、平野部においてかす川・根尾ねお川・杭瀬くいせ川・あい川・牧田まきだ川などの支川を合流する。流域面積一八四〇平方キロ、幹川流路延長一二一キロ。一級河川。

〔流域とその地形の特徴〕

流域の地形は美濃越前山地・伊吹山地養老ようろう山地・鈴鹿山地などの壮年期山地、鈴鹿山地と養老山地との間の地溝状凹地内の丘陵と台地、濃尾平野周縁の台地、沖積低地とからなる。地質は、山地においては貝月かいづき山を中心に、金糞かなくそ山へかけての山地と、能郷白のうごはく山とに花崗岩がみられるものの、おおむね石灰岩を挟んだ中・古生界の砂岩・粘板岩・チャートなどからなり、地殻運動の影響をうけて著しくもめている。丘陵は奄芸亜層群からなり、台地・沖積平野は第四紀の堆積物からなる。

山稜や河谷は北西から南東、北東から南西、南北の卓越方向をもつ壮年期の地形環境を保持している。山地はこれらの卓越方向によって切断され、急峻で小山塊化し、地殻運動と地質構造から地滑り、崩壊などが起きやすく、河谷は深いV字谷を形成し、これらの卓越方向を示して直線的に屈曲している。揖斐川は平野部では濃尾角盆地運動を反映して、養老断層崖沿いの最低凹部に流路をとり、形成時期の異なる扇状地を形成してきた。これらの扇状地は本流・根尾川・粕川・相川の渓口を扇頂にして広く分布する。扇状地の上流側には、段丘化した隆起扇状地がみられる。一方、池田山・養老の両断層崖下には、河谷によって形成された小規模で、急勾配の扇状地が連続的に分布する合流扇状地がみられ、ここでも段丘化した隆起扇状地を開析して、現成の扇状地が形成されている。これらの扇状地は帯状に分布するので、沖積平野の扇状地の分布地域を扇状地帯域とよぶこともある。

砂礫床からなる扇状地上の河道では、河水の地下浸透が旺盛であり、盛夏の渇水期には根尾川などでは涸れ川区間が出現することもある。伏流したこれらの河水は、扇端部で湧水として再出現し、湧水帯を形成する。この湧水を当地方では「ガマ」とよんでいる。ガマを涵養する地下水の水温は、年較差が著しく小さいので、地域住民に潤いを与えてきた。しかし、地下水の過剰吸上げに伴いガマも消失したところが多い。


揖斐川
いびがわ

岐阜・福井両県境の山地から南流して、岐阜県大垣おおがき市付近を経て海津かいづ郡海津町付近で三重県桑名郡多度たど町との間を流れ、桑名市東方で長良ながら川と合流し、伊勢湾に注ぐ。幹川流路延長は一二一キロ、うち三重県内は下流部約一八キロである。近世は伊尾いび河・伊尾川と記す(三国地志など)。明治の三川分流工事以前には、七郷ななごう輪中(現多度町)の西を支流である香取かとり川が流れ、多度川と合流して揖斐本流に注いでいた。

揖斐川は木曾三川のうち最も河床が低く、流域諸村の水害は最も激しく、そのため下流域堤外における新田の開発等は水行を妨げるものとして上流部諸村はしばしば新田・葭場などの取払いを要求している。濃州勢州川通取払普請訴訟一件書類(「岐阜県史」史料編)によれば、美濃国高須たかす輪中(現岐阜県海津町・平田町)などは元禄一五年(一七〇二)に数ヵ月にわたる滞水があったとして、桑名藩領南之郷みなみのごう(現多度町)、長島藩領下坂手しもさかて村・千倉ちくら(現長島町)の諸村に対し新田・葭場などの取払いを要求している。

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改訂新版 世界大百科事典 「揖斐川」の意味・わかりやすい解説

揖斐川[町] (いびがわ)

岐阜県西端,揖斐(いび)郡の町。2005年1月旧揖斐川町と春日(かすが),久瀬(くぜ),坂内(さかうち),谷汲(たにぐみ),藤橋(ふじはし)の5村が合体して成立した。人口2万3784(2010)。

揖斐川町南東端の旧町。揖斐郡所属。人口1万9027(2000)。中央を揖斐川が流れ,揖斐川と揖斐川支流の粕川が形成した扇状地の扇頂部を占める。中心集落の三輪は谷口集落で,江戸初期に西尾氏の城下町として発展,1631年(寛永8)以降は旗本岡田氏の知行地となり,陣屋が置かれた。明治~大正期には郡役所が置かれ,現在も郡の中心である。農業が中心で,良質の揖斐米は酒米,すし米に適する。美濃揖斐茶の主産地で,木工業も盛ん。北部の揖斐峡は揖斐県立自然公園に属し,揖斐関ヶ原養老国定公園の入口でもある。揖斐川はアユと揖斐石の産地として有名。

揖斐川町南端の旧村。揖斐郡所属。人口1722(2000)。西は滋賀県に接する。揖斐川支流粕川の流域にあり,低地に乏しく村域の大部分が伊吹山系の山地である。かつては木炭生産が盛んであったが,エネルギー革命のため衰退,過疎化が進んだ。農業は自給程度で,コンニャクイモシイタケが栽培され,春日茶の特産がある。村の一部は揖斐関ヶ原養老国定公園,伊吹山県立自然公園に属し,伊吹山は高山植物や薬草の宝庫である。峠を越え垂井町に抜ける山道は戦国時代には落武者の退路となっていた。

揖斐川町中央の旧村。揖斐郡所属。人口1511(2000)。揖斐川上流に位置する山村で,揖斐川の本支流沿いの低地に集落が点在するほかは,美濃越前山地に属する山地からなる。中心は国道303号線沿いの東津汲で,近隣のバスターミナルになっている。かつては製紙や木炭,石灰石の生産が盛んであったが,現在は林業,シイタケ,ワサビなどの栽培が主産業である。村の南半は揖斐関ヶ原養老国定公園に属する。東津汲には中世の面影を残す鎌倉踊が伝わる。

揖斐川町北西部の旧村。揖斐郡所属。人口663(2000)。揖斐川支流の坂内川上流域の山村で,三国ヶ岳(1209m),金糞(かなくそ)岳(1314m)などの山々を境に福井・滋賀両県と接する。集落は河川沿いに点在し,中心集落は国道303号線が通る広瀬。農業は自給程度で林業に依存するが,近年過疎化が急速に進んでいる。村の東部に揖斐高原スキー場が,川上と広瀬の2ヵ所に発電所がある。

揖斐川町東部の旧村。揖斐郡所属。人口4028(2000)。越美山地南端の山々に囲まれた根尾川沿いの低地にある。村内には延暦年間(782-806)創建といわれる天台宗の華厳寺(谷汲観音),横蔵寺があり,早くから開けた。華厳寺は西国三十三所第33番札所で,笈摺(おいずる)を納める巡礼が訪れ,徳積地区に門前町が形成された。横蔵寺は〈美濃の正倉院〉といわれ,本尊の薬師如来像など重要文化財が多い。主産業は農林業でシイタケ,クリ,茶の特産がある。村の一部は揖斐関ヶ原養老国定公園,揖斐県立自然公園に属し,観光にも力を入れている。毎年2月18日には谷汲踊が行われる。

揖斐川北部の旧村。揖斐郡所属。人口502(2000)。揖斐川上流の山村で,四方を権現山,天狗山など標高1000m級の山々に囲まれる。集落は揖斐川沿いに点在し,中心は横山。農業は自給程度で,シイタケ,ミョウガなどの生産がある。県下最多雨地であり,明治末期から発電所建設が進められた。1964年に完成した多目的の横山ダムは,諸集落の水没によって過疎化を促すことにもなったが,横山発電所(出力7万kW)の発電のほか,洪水調節と水の供給に重要な役割を果たしている。また旧徳山村(87年編入)域では2006年徳山ダムのダム本体の工事が竣工。国道303号線が通じる。
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揖斐川 (いびがわ)

岐阜県の西部を南流して伊勢湾に注ぐ川。幹川流路延長121km,全流域面積1840km2。福井県境の冠山(1257m)に発して峡谷となって流下し,揖斐川町南東部で濃尾平野に出る。平野では緩やかな扇状地を展開し,東海道本線鉄橋付近より下流で低湿な三角州地帯を形成する。扇状地帯では粕川,藪川,三角州地帯で牧田川,津屋川,大江川などの支流を合流し,千本松原から長良川と背割堤を隔てて流れた後に合流する。上流山地は発電に利用されて横山ダム(1964完成)などのダム湖となり,2006年徳山ダム(湛水面積は日本一の13km2)のダム本体の工事が竣工した。中流の揖斐峡付近は国定公園に指定されている。平野の下流部は木曾三川(ほかに木曾川,長良川)のうちで河床が最も低く,水害に悩まされて輪中が発達した。宝暦年間(1751-64)および明治以降,三川の分流工事をはじめとする治水事業が進展し,今では洪水の心配はほぼなくなった。それとともに流域には工業が発達し,農業生産が向上して,灌漑用水,都市用水などに広く利用されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「揖斐川」の意味・わかりやすい解説

揖斐川(町)
いびがわ

岐阜県南西部、揖斐郡の中心町。1955年(昭和30)揖斐町と大和(やまと)、北方(きたがた)、清水(きよみず)、小島の4村が合併し、揖斐川町と改称。1956年養基(やぎ)村の一部を編入。2005年(平成17)谷汲(たにぐみ)、春日(かすが)、久瀬(くぜ)、藤橋(ふじはし)、坂内(さかうち)の5村と合併、この合併によって町域は北方と西方に大きく広がった。町の中央部を流れる揖斐川には揖斐峡、小津渓谷、不動滝、夜叉(やしゃ)ヶ池などの景勝地のほか、横山ダムや久瀬ダム、日本最大の総貯水量の徳山ダムがある。町の歴史は古いが、とくに1631年(寛永8)以来幕末まで美濃(みの)国代官頭(がしら)岡田氏の在住地で、いわばその城下町と、揖斐谷の谷口集落を兼ねて、町並みが形成された。養老鉄道、樽見鉄道(たるみてつどう)、国道303号、417号も走り、岐阜・大垣両市方面への通勤者が多い。おもな工業としては「あられ」などを生産する食品工場があり、広く県外に販売網をもつ。米麦作のほか、ダイズや野菜栽培が行われ、また、良質な揖斐茶を産する。このほか、伊吹山麓(さんろく)は薬草の宝庫として知られる。三輪神社揖斐祭り(5月4、5日)は子供歌舞伎(かぶき)で知られ、月桂院には戦国時代の武将稲葉(いなば)一鉄の墓がある。また、西国(さいごく)三十三番札所満願霊場となる谷汲山華厳(けごん)寺、国の重要文化財の木造薬師如来(にょらい)坐像が安置された両界山横蔵寺(よこくらじ)などがある。そのほか、久瀬温泉や谷汲温泉、スキー場やキャンプ場などもある。面積803.44平方キロメートル(境界は一部未定)。人口1万9529(2020)。

[上島正徳]

『『揖斐川町史』全2巻(1970、1971・揖斐川町)』



揖斐川
いびがわ

中部地方、木曽(きそ)川、長良(ながら)川とともに、下流に濃尾平野(のうびへいや)をつくる、いわゆる木曽三川の一つ。延長121キロメートル、流域面積1840平方キロメートル。岐阜県揖斐郡揖斐川町の徳山谷に源を発し、年降水量3000ミリメートル以上の越美(えつみ)山地に深い峡谷をうがって流れ、揖斐峡をなし、濃尾平野に出る。さらに、支流の粕(かす)川、根尾(ねお)川(藪(やぶ)川)、牧田川などをあわせながら、西濃の最低部を南流し、河口で長良川と合流、桑名市の東を過ぎて、伊勢湾(いせわん)に注ぐ。揖斐川は、濃尾平野の北西部では、粕川、根尾川などと扇状地をつくり、古くから稲作農業の発達をみた。その下流では自然堤防、三角州を発達させているが、長い間低湿かつ水害の危険性の絶えない輪中(わじゅう)地域であった。1755年(宝暦5)以後とくに明治中期から木曽、長良との三川分流、河川改修、土地改良などの事業により、災害の克服が図られ、輪中は大きく変貌(へんぼう)している。一方、上流では発電利用だけでなく、洪水調節などの多目的利用を目的とした横山ダム(揖斐川町)が1964年(昭和39)に、さらに上流でも2008年(平成20)大規模な徳山ダムが完成した。なお、揖斐峡付近は揖斐関ヶ原養老国定公園の一部。

[上島正徳]


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百科事典マイペディア 「揖斐川」の意味・わかりやすい解説

揖斐川【いびがわ】

岐阜県西境に発し,伊勢湾に注ぐ川。長さ121km,流域面積1840km2。揖斐川町付近で濃尾平野に出,根尾川,牧田川を合わせ,河口付近で長良(ながら)川に合流。しばしば氾濫(はんらん)したが,1530年の大洪水でほぼ現在の流路になったとされる。江戸時代には炭・薪を流下させたが,六分一番所が置かれ,運上を徴収した。1900年木曾,長良,揖斐3川分流が完成,川沿いに堤防が築かれた。最下流部に輪中が発達,上流には横山ダム,久瀬ダムがある。
→関連項目池田[町]揖斐川[町]大垣[市]海津[町]木曾川神戸[町]真正[町]墨俣[町]徳山ダム長島一揆南濃[町]濃尾大橋平田[町]穂積[町]瑞穂[市]養老[町]輪之内[町]

揖斐川[町]【いびがわ】

岐阜県南西部,揖斐郡の町。中心の揖斐は揖斐川の渓口集落で,城下町として発達,大垣からの養老鉄道の終点。良質の揖斐米,シイタケ,イチゴを産し,揖斐川のアユは名物。北部に貯水量日本一の徳山ダムがある。2005年1月揖斐郡谷汲村,春日村,久瀬村,藤橋村,坂内村を編入。803.44km2。2万3784人(2010)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「揖斐川」の意味・わかりやすい解説

揖斐川
いびがわ

岐阜県の西部を流れる川。全長 114km。両白山地南部の岐阜・福井県境の高倉峠付近に源を発し,粕川,根尾川,牧田川などの支流を合せて伊勢湾に注ぐ。両白山地では峡谷をなして流れ,揖斐峡などの景勝地をつくる。揖斐川町付近で濃尾平野に出て扇状地を形成し,大垣市付近から低平な三角州地帯を流れ,輪中地域となる。上流部の山地は年間 3000mm以上の多雨地で水量が多く,灌漑,発電に利用されるが,梅雨期,台風期には,しばしば集中豪雨によって水害を受けたため,下流部では堤防で町を囲む輪中が発達した。揖斐川の石は庭石,盆栽石用に利用されることで有名。

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世界大百科事典(旧版)内の揖斐川の言及

【美濃国】より

…これらの荘園の分布は,武芸郡の揖深(いぶか)荘,武義荘,上有智(こうずち)荘など7ヵ所,賀茂郡の蜂屋本荘,河辺荘など5ヵ所,恵那郡の遠山荘,郡上郡の気良(けら)荘など,東部および北部の山間部に集中し,南西部のひらけた平野部に位置するものは,わずか1~2ヵ所にすぎないという特徴をしめしている。この特徴は,揖斐川,長良川,津保川,飛驒川,可児(かに)川などの河川によってきりこまれた東部,北部の谷間に,新たな中世開発の道をえらんだ中世武士団美濃源氏と摂関家との結びつきより,これら美濃摂関家領が成立したことを物語っている。寺領荘園としては,東大寺領大井荘,茜部荘をはじめ,延暦寺領平野荘,小島(おじま)荘など,醍醐寺領帷(かたびら)荘,船木荘などがあり,社領荘園としては,伊勢神宮領中河御厨(みくりや)などのほか石清水領泉江荘,賀茂社領梅原荘などがあった。…

※「揖斐川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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