日本歴史地名大系 「浅野川下川除町」の解説 浅野川下川除町あさのがわしもかわよけまち 石川県:金沢市金沢城下第七連区浅野川下川除町[現在地名]金沢市昌永町(しようえいまち)・京町(きようまち)浅野町から浅野川下流沿いに北西の中島(なかじま)町へ続く通りに沿う町。通りの南東部は東側に、北西部は西側に家建てがある片側町。文化八年(一八一一)の金沢町絵図名帳によれば通り中ほどに船渡場があり、さらに北西部東側には曹洞宗広誓(こうせい)寺がみえる。延宝町絵図によれば南東部は餌刺(えさし)町となっている。当町付近一帯は吹屋(ふきや)町裏通(うらどお)りともよばれていた(「又新斎日録」加賀藩史料)。続漸得雑記(加賀藩史料)の元禄三年(一六九〇)三月の大火の記事にみえる「浅野川下町、川除町」は当町と考えられ、かつては二町として町立てしていたらしい。同九年の書上(「片岡孫作筆録」加越能文庫)に地子町とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by