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浅野郷(読み)あさのごう

日本歴史地名大系 「浅野郷」の解説

浅野郷
あさのごう

嘉暦二年(一三二七)の三浦和田文書に「下浅野郷」とみえるのに次いで、同四年、幕府(北条高時)が諏訪社上社の五月会・御射山頭役などの結番を定めたなかに「林尼・上浅野・倉井小島郷高梨知行」(守矢文書)とみえる。これより以前浅野郷一郷であったものが、この当時は上下に分れ、下浅野は島津氏が、上浅野は高梨氏がそれぞれ知行している。これは、千曲川の東、高井地方に根拠をもつ高梨氏の勢力が川西に一歩前進した現れとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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