日本歴史地名大系 「浅野村」の解説
浅野村
あさのむら
現豊野町の東南部。東は千曲川中流をもって
嘉暦二年(一三二七)八月二三日付幕府下知状(三浦和田文書)に、島津大隅弥三郎称阿(頼祐)重代の所領として「信濃国太田庄下浅野郷」とみえるのが初見。謡曲「柏崎」に、越後の国府から善光寺への道筋として、
とうたわれ、中世を通じてのちの谷筋道にあたる道が通じており、浅野はその沿道の要地であった。天正一〇年(一五八二)北信濃地方を掌握した上杉景勝は、同年七月島津忠直を
浅野村
あさのむら
浅野村
あさのむら
- 岐阜県:土岐市
- 浅野村
土岐川に南からその支流肥田川が合流して西流する南岸一帯にある。南は
浅野村
あざのむら
浅野村
あさのむら
浅野村
あざのむら
浅野村
あさのむら
浅野村
あさのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報