日本歴史地名大系 「海保村」の解説 海保村かいほむら 千葉県:市原市海保村[現在地名]市原市海保・桜台(さくらだい)町田(まちだ)村の南西に位置する。古代海上(うなかみ)郡が分割されて成立したと考えられる海北(かいほ)郡の遺称地であろう。地内には延元二年(一三三七)銘などの武蔵型板碑、永正元年(一五〇四)などの舎利札などがある。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に海宝村とみえ、高一千四〇二石。慶長一七年(一六一二)の関東八州真言宗連判留書案(醍醐寺文書)に西上総海保遍照(へんじよう)院がみえる。元和元年(一六一五)の田畑山屋敷帳并村中反別帳(宝永七年写、霜崎家文書)では慶長一七年以来の姉崎藩領や武蔵川越藩領、また旗本小出三氏領になったという変遷が記載される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by