…北浦にも北浦四十四ヶ津がある。平安末期から南北朝期,霞ヶ浦・北浦・利根川の津々の海夫は,香取社に供祭料を貢進,漁猟・交通上の特権を保証され,戦国期から江戸初期には,湖の入会を大原則とする自治組織を形成する。その一,霞ヶ浦四十八津は1625年(寛永2)に設定された水戸藩の玉里(たまり)御留川に対し,入会の原則を固守して頑強に抵抗,1650年(慶安3)漁期・漁具の制限,定例の会合日等の慣習を,南津頭古渡(ふつと)村,北津頭玉造浜村をはじめ津々連判の上,掟書とした。…
※「海夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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