海津中小路町(読み)かいづなかこうじまち

日本歴史地名大系 「海津中小路町」の解説

海津中小路町
かいづなかこうじまち

[現在地名]マキノ町海津

海津三町の西端にあり、西は西浜にしはま村に続く。幕府領から享保九年(一七二四)以降大和郡山藩領。同年の大和郡山領郷鑑によれば高二七六石余、反別三五町三反余、家数一一七(うち本百姓九五・水呑一三・無高九)・人数五九一、馬八、そのほか医師一・造酒屋二・職人八・商人一四・油屋一二・荷物問屋一がいた。猟師二がおり、湖鳥猟運上銀一〇〇目を納め、丸船一三があった。延宝五年(一六七七)の海津三町絵図(吉田家蔵)によれば家数一二二。天明三年(一七八三)当町の仁井田次郎兵衛は持山の寺之後で石灰採掘を願出、許されている(高島郡誌)。枝郷にカナヤがあり、古く鍛冶が居住したという(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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