日本歴史地名大系 「海添村」の解説 海添村かいぞえむら 大分県:臼杵市海添村[現在地名]臼杵市海添 東海添(ひがしかいぞえ)・西海添(にしかいぞえ)・南海添(みなみかいぞえ)・北海添(きたかいぞえ)・駅前(えきまえ)仁王座(におうざ)村の南東、海添川の中・下流域にあり、東は板知屋(いたちや)村。臼杵・佐伯(さいき)城路が通る。参宮帳写(後藤作四郎文書)によれば、天正一七年(一五八九)三月一七日「臼杵かいそい町」の石井弥七郎が伊勢神宮を参詣しており、同一七年七月二日、同一八年二月一五日などにも「かいそへ町」の者や「かいそい衆」が参詣している。文禄二年(一五九三)の臼杵庄検地帳写(渡辺家文書)に「臼杵海添中町」とみえ高八石余、屋敷地二七筆・畠地一三筆、名請人二九人が記される。戦国時代末期に丹生島(にゆうじま)(臼杵)城が築かれて以来、城下町の一部として発展した地域であろう。慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳には海添中ノ町とみえ高一〇石余で、侍町であった。同帳にはほかに海添村組の内として海添村とみえ、高二一七石余、本高二五五石余のうち「侍町并堀ニ引分」として四八石余を引高にしており、村高二一七石余のうち一〇石余は「慶長拾年御検地ニ出目」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by