淀城(読み)よどじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「淀城」の意味・わかりやすい解説

淀城
よどじょう

戦国期~江戸期の城。京都市伏見(ふしみ)区淀本町にある。細川政元(まさもと)が築城。1504年(永正1)には摂津守護代薬師寺元一(やくしじもとかず)が拠(よ)っており、のち細川氏綱(うじつな)、岩成友通(いわなりともみち)らが入っている。1589年(天正17)豊臣(とよとみ)秀吉が側室茶々(ちゃちゃ)の出産のために修築してこれを与えたことは有名。以後茶々は「淀殿」とよばれたが、鶴松(つるまつ)病死後破却。現在の城址(じょうし)は1623年(元和9)松平定綱(さだつな)により築かれたもの。1868年(明治1)鳥羽(とば)・伏見の戦いの際、放火され焼失。天守台、石垣、堀などが残る。

[小和田哲男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の淀城の言及

【淀】より

…またここに淀藤岡城があったことは,1504年(永正1)ここにこもった薬師寺与一(元一)の敗退を伝える《細川両家記》《実隆公記》に明らかである。【脇田 晴子】
[近世]
 淀君の淀城も納所にあったが,1623年(元和9)松平定綱が淀に3万5000石で入封し(淀藩),ついで33年(寛永10)永井尚政が10万石で入り,淀城下町が整備され,淀の近世的景観が確立した。松平定綱は淀古城のつくられた納所ではなく,宇治川をはさんだ対岸の川中島に新淀城を建設,そこに池上町,下津町の城内町を形成させた。…

※「淀城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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