現在の京都市伏見区内で,旧紀伊郡内の深草の南,鳥羽の東の地をいう。
《日本書紀》の雄略17年に,土師連に朝夕の御膳の土器を奉るために民部を貢進させた記事があり,そのなかに〈山背国俯見村〉が見える。桓武天皇陵が807年(大同2)この地に移され,《江家次第》《拾芥抄》には〈伏見山に在り〉とされている。伏見山は木幡(こはた)山ともいい,この地がのちに豊臣秀吉の伏見城となり,さらに明治天皇陵となった。その南麓に延久年間(1069-74)藤原頼通の子,橘俊綱が造営した伏見山荘は1093年(寛治7)焼失したが,高陽(かや)院,石田殿とともに三名勝とされていた。
山荘に付属した土地は藤原氏の荘園であったらしく,1160年(永暦1)後白河院庁下文(くだしぶみ)には,〈彼庄領主俊綱以下,雖多其数,数十余年〉とある。俊綱は弟の家綱にこれを譲り,家綱は白河院に献上,白河院は甥源有仁に譲り,有仁はこの山荘に居住し,伏見寺(即成就院(そくじようじゆいん)・即成院)を営んだとされている。その後,有仁は養女の鳥羽院皇女頌子(しようし)内親王に伝領,頌子(五辻斎院)は平範家に本家職を留保して,領家または預所職のみを与えた。平範家は60年木幡浄妙寺領150町を伏見荘の私領と号して,荘民を押し入らせ乱妨したとして訴えられている。この事件の翌年範家は伏見里に建立,居住していた護法寺を北岩倉に移している。そののち伏見荘の知行権は範家の子親範に伝領されたようである(〈平親範置文〉)。本家職は頌子内親王から後白河院に寄進され,院は長講堂領とした。91年(建久2)の〈長講堂所領注文〉には,〈伏見御領〉として,〈米3石6斗,人夫役,移花30枚,菖(蒲)3駄,艾(からくさ)(まぐさ)1駄〉が記載されている。後白河院没後,宣陽門院に伝領された伏見荘は,さらに持明院統へ伝えられていった。文和年間(1352-56)広義門院寧子が,大光明寺を建立した。この寺に光厳,光明,崇光の3天皇が入寺している。やがて伏見荘は,崇光天皇皇子栄仁(よしひと)親王(伏見宮家祖)の伝領するところとなった。一時,足利義満による伏見荘没収ということもあったが,また返還され,以後秀吉の伏見築城まで,栄仁親王-治仁王-貞成(さだふさ)親王と伝えられ,貞成の《看聞日記》によって,伏見荘の室町時代初期の姿が生き生きと伝えられることになった。
伏見荘は〈伏見九郷〉と称される9村で構成されていた。久米村(鷹匠町,金札宮付近),舟戸(津)村(淀川に面した柿ノ木浜付近),森村(桃陵町付近),石井村(御香宮門前付近),即成院村(桃山町泰長老付近),法安寺村(深草大亀谷五郎太町付近),北内村(深草大亀谷付近),山村(谷口--旧伏見城域内の広庭),北尾村(深草大亀谷敦賀町付近)である。ただこの郷名と郷数は,史料によって異同がある。伏見荘9村の鎮守にあたる御香宮(ごこうぐう)は石井村に所在し,春秋2回の例祭に猿楽が催されたことで知られる。その費用は地下(じげ)の侍と荘民との出費でまかなわれた。地下侍のなかでも有力であったのは小川氏と三木氏であり,小川禅啓は応永20年代,伏見荘政所に任ぜられており,三木氏は御香宮神主職をもっていた。そのほか,内本,下野,岡,芝などの諸侍がおり,彼ら地下侍を中心に,伏見九郷の住民は団結・武装化し,惣結合によって隣郷との境相論,用水・草苅相論,盗賊との対決など,自治自衛を行っていた。即成院に入った盗賊の詮議のため,御香宮で住民が起請を行うなど,自検断(警察・裁判の自治権)的色彩が濃い。
伏見荘には,中世,大光明寺およびその塔頭(たつちゆう),即成院などの寺庵が多数存在したが,秀吉の伏見築城の過程で移転したものが多い。大光明寺跡地には,光明,崇光両天皇陵がある。また伏見殿近辺の名勝,指月(しげつ)の森は観月橋(豊後橋)の北辺一帯をいい,東南西が水流,東南に巨椋(おぐら)入江,東に伏見沢があり,詩文に読まれたが,現在は巨椋池が干拓され,変化している。なお伏見には歌枕が多く,〈伏見里〉〈伏見田居〉〈伏見沢〉〈伏見野辺〉などが,巨椋池,木幡山などとともに詠みこまれている。
執筆者:脇田 晴子
1592年(文禄1),豊臣秀吉は巨椋池を臨む景勝の地に隠居所の造営をはじめたが,翌年暮れには隠居所を本格的な城郭とし,城下町も造成することを決め,94年2月から指月の地を中心に大土木工事を起こした。天下人秀吉が指月の城に入ったのに伴い,有力諸大名も伏見に集住し,大坂と伏見を船で結ぶための宇治川の流路付替えや,京都,奈良,大坂,大津などを経て諸国と伏見を結ぶ諸街道も新たに整備され,伏見は中央政治都市にふさわしい機能と景観をもつにいたった。96年の大地震で城と城下町はいったん破壊されたが,まもなく指月から伏見山へ場所をかえて築城され,伏見城と城下町はさらに規模を広げて再生した。城下町は伏見山の西麓を中心に武家地,社寺地,町地が策定され,七瀬川を総外堀とし,京町通,両替町通などの市街中心部をつつむように外堀(濠川)が設けられて舟運にも利用された。秀吉の没後,1600年(慶長5)の関ヶ原の戦に際し城と城下が兵火に焼かれたが,覇権を握った徳川家康も全国統治の上から政治都市としての伏見の位置を重視して,伏見の再生をはかった。伏見両替町に全国で初めての銀座を設けたり,京都と伏見の間に高瀬川を開かせて舟運を通じさせたり,書籍(伏見版)版行を行った円光寺を誘致したり,伏見城で歴代将軍の拝任式を行うなど,徳川氏は伏見の発展を促した。
しかし,江戸および駿府に政治の中心が移るに従い伏見の地位は低下し,伏見町民の大坂移住が奨励され,伏見城の廃棄が1619年(元和5)には決定された。23年の3代将軍家光の将軍拝任式後に伏見城は壊されて,伏見の城下町時代は終わった。廃城後荒れはて恐れられた伏見城の跡地の城山に数万本の桃樹が植えられ,全山が花の季節には桃色に染まり,庶民が花見に集うようになったのは17世紀後半である。こうして伏見山が桃山の名で親しまれるようになったころ,伏見は城下町から京都と大坂を結ぶ中継商業都市へと転生した。また東海道が大津追分から山科を経て伏見を通り,淀から大坂へと整備されたことにより,大名行列や商人,旅行者の行き交う宿場町としても発展した。行政的には伏見奉行の支配下にあり,町数263,家数6256は江戸中期の数字であるが,人口をみると江戸中期に3万人前後で後期の天保年間(1830-44)には4万人余に増加している。特産品は,伏見人形,寒天,花火,扇骨・団扇等の竹製品,伏見鋸,酒など多種にわたるが,生業としては過書船,高瀬舟,伏見船,伏見車などの運輸業や問屋業,旅宿業なども少なくなかった。幕末には鳥羽・伏見の戦の戦場となった。1929年市制施行したが,31年京都市に合併し,伏見区となった。
執筆者:鎌田 道隆
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京都市南部、伏見区の中心地区。東部の桃山(ももやま)丘陵を除けば、大部分は鴨(かも)川の氾濫原(はんらんげん)で低平である。JR奈良線、京阪電鉄本線、近鉄京都線が南北に通じ、中書島(ちゅうしょじま)で京阪電鉄宇治(うじ)線が分岐し、名神高速道路が東西に交差する。また近鉄は竹田駅で市営地下鉄烏丸(からすま)線と接続している。
延久(えんきゅう)年間(1069~1074)ごろ橘俊綱(たちばなのとしつな)が伏見山荘を造営して以来、貴紳の別業地となった。豊臣(とよとみ)秀吉が桃山丘陵に伏見城を築いて城下町として発展したが、1625年(寛永2)江戸幕府によって伏見城は解体された。その後、伏見奉行(ぶぎょう)の支配下に入り、高瀬川の開削で、京都と大坂を結ぶ淀(よど)川水運の起点として栄えた。明治以後は東海道線の開通によって淀川水運は衰えたが、京阪電鉄が開通して京都市の衛星都市として発展。良質の硬水を湧出(ゆうしゅつ)し、兵庫県の灘(なだ)と並ぶ酒造地として知られ、いまも新高瀬川沿いなどに古い酒蔵が建ち並ぶ。
なお、1929年(昭和4)京都市との合併を前提に伏見町が市制施行、1931年伏見市は深草(ふかくさ)町と竹田、堀内(ほりうち)、下鳥羽(しもとば)、横大路(よこおおじ)、納所(のうそ)、向島(むかいじま)、醍醐(だいご)の7村とともに京都市に編入して伏見区となり、さらに1950年(昭和25)久我(くが)、羽束師(はつかし)の2村、1957年に淀町を編入した。
[織田武雄]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…子吉川の上流,鳥海山東麓を占める。子吉川支流の笹子(じねご)川,直根(ひたね)川の谷沿いに集落が分布し,中心集落は最上街道と直根街道の分岐点に成立した伏見である。河岸段丘が発達し,谷底平野は水田になっている。…
…ことに,応仁・文明の乱後になり諸国の荘園からの年貢が納められなくなると,山城国の荘園は,その重要度を増した。久我(こが)家の久我荘,伏見宮家の伏見荘,九条家の東九条荘などは,名字の荘園と呼ばれるようになった。
[産業]
諸国からの物資が京都や奈良に集められたために,交通の要衝には運送業者が発達した。…
※「伏見」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
一般的には指定地域で、国の統治権の全部または一部を軍に移行し、市民の権利や自由を保障する法律の一部効力停止を宣告する命令。戦争や紛争、災害などで国の秩序や治安が極度に悪化した非常事態に発令され、日本...
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