精選版 日本国語大辞典 「伏見」の意味・読み・例文・類語
ふしみ【伏見】
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京都市南部、伏見区の中心地区。東部の桃山(ももやま)丘陵を除けば、大部分は鴨(かも)川の氾濫原(はんらんげん)で低平である。JR奈良線、京阪電鉄本線、近鉄京都線が南北に通じ、中書島(ちゅうしょじま)で京阪電鉄宇治(うじ)線が分岐し、名神高速道路が東西に交差する。また近鉄は竹田駅で市営地下鉄烏丸(からすま)線と接続している。
延久(えんきゅう)年間(1069~1074)ごろ橘俊綱(たちばなのとしつな)が伏見山荘を造営して以来、貴紳の別業地となった。豊臣(とよとみ)秀吉が桃山丘陵に伏見城を築いて城下町として発展したが、1625年(寛永2)江戸幕府によって伏見城は解体された。その後、伏見奉行(ぶぎょう)の支配下に入り、高瀬川の開削で、京都と大坂を結ぶ淀(よど)川水運の起点として栄えた。明治以後は東海道線の開通によって淀川水運は衰えたが、京阪電鉄が開通して京都市の衛星都市として発展。良質の硬水を湧出(ゆうしゅつ)し、兵庫県の灘(なだ)と並ぶ酒造地として知られ、いまも新高瀬川沿いなどに古い酒蔵が建ち並ぶ。
なお、1929年(昭和4)京都市との合併を前提に伏見町が市制施行、1931年伏見市は深草(ふかくさ)町と竹田、堀内(ほりうち)、下鳥羽(しもとば)、横大路(よこおおじ)、納所(のうそ)、向島(むかいじま)、醍醐(だいご)の7村とともに京都市に編入して伏見区となり、さらに1950年(昭和25)久我(くが)、羽束師(はつかし)の2村、1957年に淀町を編入した。
[織田武雄]
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…ことに,応仁・文明の乱後になり諸国の荘園からの年貢が納められなくなると,山城国の荘園は,その重要度を増した。久我(こが)家の久我荘,伏見宮家の伏見荘,九条家の東九条荘などは,名字の荘園と呼ばれるようになった。
[産業]
諸国からの物資が京都や奈良に集められたために,交通の要衝には運送業者が発達した。…
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