朝日日本歴史人物事典 「松平定綱」の解説
松平定綱
生年:文禄1(1592)
江戸前期の常陸下妻,遠江掛川,山城淀,美濃大垣,伊勢桑名藩主。徳川家康の異父弟松平定勝の3男。母は奥平貞友の娘。徳川秀忠に仕え,慶長14(1609)年下総山川1万5000石。のち書院番頭として大坂冬夏両陣で活躍。元和2(1616)年下妻3万石,4年掛川転封,9年淀3万5000石,寛永10(1633)年大垣6万石,12年桑名11万石と転封を重ねる。わずか9歳のとき,祖母(家康の生母)の邸の火事に駆けつけるに際し,江戸城の門番を一喝して開門を命じたり,鎖国ののち明国の援軍要請に応えて出兵を主張するなど,豪気な性格で知られていた山鹿素行に教えを受け,武断派の譜代大名の重鎮であった。<参考文献>新井白石『藩翰譜』,近藤杢編『桑名市史』
(根岸茂夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報